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第三十一分室へようこそ!どうぞお付き合いの程よろしくお願いいたします。

下つ巻

仁徳天皇
1、后妃皇子女・聖帝
大雀命は難波の高津宮(なにわのたかつのみや)*1において、政を行って国を治めた。
この天皇と
葛城の曾都毘古=かつらぎのそつひこの娘、石之日売命=いはのひめのみこと、との間の誕生した御子は
大江の伊邪本和気命=おおえのいざほわけのみこと
次に
蝮の水歯別命=たぢひのみずはわけのみこと
次に
男浅津間若子宿禰命=おあさづまわくごのすくねのみこと

また日向の諸縣君、牛諸=ひむかのもろがたのきみ、うしもろの娘、髪長比売=かみながひめ、との間に誕生した御子は
波多毘能大郎子=はたびのおおいらつこ
(またの名は大日下王=おおくさかのみこ)
次に
波多毘能若郎女=はたびのわきいらつめ
(またの名は長日比売命=ながひひめのみこと、またの名は若日下部命=わかくさかべのみこと)

また異母妹の八田若郎女=やたのわかいらつめ、と
同じく異母妹の宇遲能若郎女=うぢのわかいらつめ、との間には御子は誕生しなかった。

この天皇の時代に
大后、石之日売命の御名代*2として「葛城部(かつらぎべ)」を定め、
太子、伊邪本和気命の御名代として「壬生部(みぶべ)」を定め、
水歯別命の御名代として「蝮部(たぢひべ)」を定め、
大日下王の御名代として「大日下部(おおくさかべ)」を定め、
若日下部王の御名代として「若日下部(わかくさかべ)」を定めた

また秦人*3を使役して
茨田堤・茨田三宅*4・丸邇池・依網池を作り、
堀江・小椅江を掘り、海につなげた。

また墨江の津(すみのえのつ)*5を定めたのもこのときである。

さてある日、天皇は高い山に登って四方を眺めて言った。
「国々の皆の家からす腰も煙が立っていない。これは煮炊きできないほど国民が貧しいからに違いない。これより3年間は国民から税を取らないことにしよう。」
そうしてまったく天皇家には税の収入がなくなったので
大殿はぼろぼろになり、雨漏りがするようになったが修理も出来ず、
雨漏りの水を器で受けなくてはいけないような有様であった。
しかしその甲斐あって三年の後には国中の各々の家から悉く煮炊きの煙が上がるようになっていた。

こういう天皇であったから、国民は税に苦しむことがなく、富み栄えた。
それゆえ後々までこの天皇の御世をたたえて、「聖帝の世(ひじりのみかどのよ)」というのである。

*1、大阪市
*2、専有の領地(個人財産)
*3、弓月の君と中国からやってきた帰化人の一団、秦氏の祖先とも言われる。
*4、三宅・・・天皇専用の田畑
*5、大阪市住之江区(津とは港のこと)

さてさて(^^)v
世界一大きい墳墓として有名な仁徳天皇の項が始まりました。
この天皇はその名も示すとおり(仁と徳)、その政治においても性格においてもかなりやり手だったみたいですねぇ。
先にあげたエピソードにも示されるように自ら質素を旨として倹約に励んだといわれています。
また彼は大阪平野の開発と治水に勤め、多くの堤を築き耕作の能率を上げることに力を注ぎます。
有名な話に「茨田の堤」の話がありますね(^^)
そんな天皇だったので民も彼をしたい、自ら進んで宮の普請をしたり、税を納めたといわれています。
ふふふ・・・なんて完全無欠な天皇だろう!と思うでしょう?
この次の項を読むと考えが変りますよぉ〜( ̄ー ̄)にやり・・

2、皇后の嫉妬・黒日売
さて
この天皇の大后の石之日売命は大変嫉妬深い女性であった。
自分以外の女は決して宮の中には入れようとしなかったし、
またそのことについて天皇が文句でも言おうものなら地団太を踏んで怒った。

ある日、天皇は吉備の海部直=きびのあまべのあたいの娘
黒日売=くろひめ、の美しさを聞き及んで早速、宮に召しだした。
しかし黒日売は大后の嫉妬に恐れをなし船に乗って国に逃げ帰ってしまった。

そのとき天皇が高殿から日売の乗った船を見送りながら歌った御歌
沖方には 小船連らく くろざやの まさづ子吾妹 国へ下らす
【ああ・・あの沖に連なる船で私のいとしいあの日売は国へかえってしまうのだなぁ・・・】

この御歌に大后は激怒した。
早速人を大浦にやり、黒日売を船から引き摺り下ろし、無理やり陸路で帰途につかせた。
これを聞いた天皇は黒日売を哀れに思い、大后に「淡路島を見に行ってくる」と嘘をつき大急ぎで黒日売の後を追った。
途中、淡路島を眺め

おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて わが国見れば 淡島 自凝島 あぢまさ(☆難解漢字です。下記画像を参照ください)の 島も見ゆ 放つ島見ゆ
難解漢字*別名、ビロウ。ヤシ科の常緑高木
【難波の港を発ってふとわが国を振り返れば三つの島が見えた。三つの離れ島が・・・】

そしてそこからまっすぐに吉備の国へ向かった。
吉備の山の畑でようやく黒日売を見つけその日は彼女の家で食事をした。
その晩の食事の中の一品は黒日売のつんだ青菜であった。
天皇はそれを見て

山縣に 蒔ける菘菜(あおな)も 吉備人と 共にし採めば 楽しくもあるかも
【山奥の畑にまいた質素な青菜も吉備の人(黒日売)と一緒に採めば楽しいだろうなぁ】

しばらく吉備の国に滞在した天皇だったがとうとう難波に帰る日がやってきた。
天皇を見送りながら黒日売が詠った詩は

倭方に 西風吹き上げて 雲離れ 退き居りとも 我忘れめや
【西風がふいたせいで離れ離れになった雲のようにあの人は帰っていく。遠く離れていても私を忘れないでね。】
倭方に 往くは誰が夫 隠水の 下よ延へつつ 往くは誰が夫
【こそこそと隠れるように人目を忍んで進んでいくのは誰の夫でしょう。あれはほかならぬ私の夫だわ】

3、八田若郎女
ある日、大后、石之日売命は酒宴につかう酒を盛るための三綱柏(みつながしわ)の葉*1を取りに和歌山まで出かけていた。
天皇はこの大后の留守をいいことに宮に八田若郎女を召しだした。
大后はこのことをまったく知らないままに船で宮への帰途についていたが
偶然、大和の水取司*2で仕事をしていた吉備の国の仕丁が国に帰るところに出会い, 大后の侍女が彼から宮での出来事を聞いてしまった。
「天皇は近頃、八田若郎女に夢中で朝晩と無く遊び戯れておられる。大后さまは何もご存じないのですね。」
侍女が驚いて早速、大后にそのことを伝えると石之日売命は 大急ぎでその仕丁を追いかけてことの次第をくわしく問いただした。
そしてすっかり出来事を聞きだすと烈火のごとく怒り、 船に積んでいた三綱柏の葉をすべて海に投げ捨てた。
故にその場所を名づけて御津前(みつのさき)という。

そのまま大后は宮には帰らず川をさかのぼり山代の国へ入った。
そこで大后の詠った詩

つぎねふや 山代河を 河上り 我が上れば 川の邊に 生い立てる 烏草樹を 烏草樹の木 其が下に 生い立てる 葉廣 五百箇眞椿 其が花の 照り坐し 其が花の 照り坐すは 大君ろかも
【私が今さかのぼっているこの山代の河(淀川)の岸の芍薬の木の下の椿の葉は広くてゆったりとして、たくさんの花は光り輝くようで、まるで大君のようだわ】

なおも河を上り、山代から那良(なら)の山口へ入ったときに詠った詩

つぎねふや 山代河を 宮上り 我が上れば あをによし 奈良を過ぎ 小楯 大和を過ぎ 我が見が欲し国は 葛城高宮 吾家の辺り
【山代の河をどんどんさかのぼって、奈良を過ぎ小楯を過ぎ大和を過ぎれば私が帰りたいと思っていた我家、葛城の宮が見えてくるわ】

そうして大后石之日売命は筒木の韓人、奴理能美=つつきのからひと、ぬりのみ、の家に入り二度と宮に戻ることはなかった。

さて・・
待てど暮らせど大后が戻らないので天皇は非常に困った。
まずは
大后のもとに鳥山という舎人を遣わして御歌を送った。

山代に い及け鳥山 吾が愛妻に い及け遇はむかも
【鳥山よ山代の国へ急いで追いついてくれ。私の愛しい妻に会えるように】

次に
丸邇臣口子=わにのおみくちこ、を遣わして送った御歌は

御諸の その高城なる 大猪子が原 大猪子が 腹にある 肝向ふ心をだにか 相思はずあらむ
【葛城の御諸山の高い垣根の中の大猪子が原にこもっている大切なあなたよ。いつも私はあなたのことを思っているのだよ】
つぎねふ 山代女の 木鍬持ち 打ちし大根 根白の 白腕 枕かずけばこそ 知らずとも言はめ
【私が供寝をするのはあなたが耕し作った大根のように白い腕のあなただけだよ。知らないはずはないだろうに】

しかし大后は彼らを避けて会おうともしなかった。
丸邇臣口子は雨の降る中、中庭で跪き、腰まで雨に浸かりながら大后を待った。
凄まじい雨の中で彼の青い衣装は巻いていた赤い紐の色が流れ、真っ赤に染まっていた。

このとき大后に仕えていた侍女の口日売が歌った歌

山代の 筒木の宮に 物申す 吾が兄の君は 涙ぐましも
【山代の筒木の宮まできて天皇の御歌をお伝えしようとずぶぬれになりながらも頑張っている私の兄さん。なんて可哀相なんでしょう】

口日売は丸邇臣口子の妹である。

さてどうしても石之日売命を連れ帰ることが出来ないと知った口子臣は
口日売と奴理能美にどうしたらよいか相談した。
そして三人で考えたことは大后が嫉妬ではなく珍しい虫を見に来たことにしよう。という言い訳だった。

口子臣は難波の高津宮に帰ると天皇に言った。
「大后が奴理能美のところへいったのは、奴理能美が大変珍しい虫をご覧になりたかったからだそうです。 其の虫はまず這う虫になり次に鼓のようになり、最後には飛ぶ鳥のようになる虫だそうです*3 それ以外の意図はございません。との事です。」
それを聞いた天皇は
「なんとそれは珍しい。私もぜひ見たいものだ」
といい、すぐに山代へと向かった。

山代へついて大后の部屋の前で歌った御歌
つぎねふ 山代女の 木鍬もち 打ちし大根 さわさわに 汝がいへせこそ 打ち渡す やがはえなす 来入り参来れ
【山代で愛しいあなたの作った大根の葉がさわさわとざわめくように大勢で騒がしくやってきたよ。】

今までの天皇・大后の歌った御歌六歌は志都歌の歌返しという。*4

このとき天皇は独りぼっちになった八田若郎女にも御歌を送った
八田の 一本菅は 子持たず 立ちか荒れなむ あたら菅原 言をこそ 菅原と言はめ あたら清し女
【八田若郎女は一人ぼっちで子供も生まないでこのまま若い人生を枯れてしまうなんて、なんて可哀相なんだ。とても清々しい乙女なのに】

この御歌に八田若郎女からの返歌
八田の 一本菅は 獨居りとも 大君し よしと聞こさば 獨居りとも
【私は一人でもよいのです。大君さえそれで幸せならば。そう一人ぼっちでも。】

このとき天皇は八田若郎女の御名代*5として八田部を定めた。

*1、このころの酒は現在の液体の酒ではなく、酒粕のような固体に近いものだったとかんがえられている。
ゆえに「葉に盛る」という表現になっている。
*2、飲料水を管理する役所
*3、蚕のことだと思われる。
*4、静かに歌いまた返歌をすること
*5、子供がなく名前を残すことの出来ない貴人が土地にその名を残すこと。

つらつらとなが〜〜〜〜く描いた割には結局わかったことは仁徳の女好き♪(笑)
この天皇の項のほとんどはこの女性とのエピソードに割かれています。
大体、御子時代からお父さんの女をくれ〜〜といって貰い受けちゃうような奴ですから(苦笑)
あと嫉妬深いイワノヒメとねぇ〜〜(^^;
まぁ・・次から次へと・・わはは・・
ただ、ここで注目すべきはイワノヒメの強気ですね。
彼女が何故ここまで、強気に出れるか、また仁徳がなぜ実家に帰った彼女に気を使い
追いかけなければならなかったか?
この辺りに恋物語では終わらない政治の駆け引きが出ています。
イワノヒメの実家は大和の古い豪族「葛城氏」なんですね。
この葛城氏はかなりの実力を持った豪族でいかな大君といえどもこの葛城氏を無視してこの国をまとめてはいけないのです。
彼はこの河内王朝の基盤を磐石にするためにあちこちの豪族の女性を宮に入れたのだと考えられます。
いわゆる政略結婚です。河内の王朝はこの政略結婚によって支えられていたといってもいいかもしれません(^^;

ですから、ここでイワノヒメがどの日売よりも発言力を持っていて「大后」の地位を持っていたということは この時期、葛城氏の力がいかに強かったかが伺われます。
ただ葛城氏も河内王朝の力は十分に承知していたんでしょうね。
そこで・・・口子臣のエピソードになります。
このままイワノヒメが怒って実家に帰ったままだと宣戦布告ととられかねない。
きっと家の者は皆でイワノヒメを説得したに違いありません。
ただイワノヒメは頑固でプライドがかなり高かった。
とうとう家の者もどうしようもなくなって例の「蚕」の話を持ち出して時間を稼ごうとしたんですね。
ところが仁徳はさすがに一枚上手だった(笑)
いいわけだとわかっていて、葛城氏をたてて、自分から出向いていったんですね。
う〜〜ん・・・政治の世界ってこわいぃ〜〜(笑)

その後、イワノヒメは難波に帰ることなく山代で亡くなり、次の大后には八田若郎女が任じられます。
ふふふふ・・・ちょっと「あれ?」とか思いませんでしたか( ̄ー ̄)にやり・・
実は私も思いました。
イワノヒメ・・・怒りすぎで血管切れたの?違うーーーっ!!(爆)
イワノヒメ・・・自殺したね・・・たぶん・・・・・
彼女の気性からさっするに、この状況は耐えられなかったのではないかなぁ・・・なんて思ってしまいました(T-T)



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