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第三十分室へようこそ!どうぞお付き合いの程よろしくお願いいたします。

7、天之日矛=あめのひぼこ
*この項につきましては「ちょっと小耳」に詳しく解説しておりますのでそちらをご覧下さいませ。
【こちら】*別窓で開きます。
さて・・・天之日矛の子孫が多遲麻毛理=たじまもり、というところから続きます。

多遲麻毛理=たじまもり、には他に二人の兄弟がいました。
まず
多遲麻比多訶=たじまひたか、
次に
清日子=きよひこ

この清日子と當摩のメ斐(たぎまのめひ・・・メは変換できませんでした(T_T)・・口篇に羊です。)
との間に誕生した子は
酢鹿の諸男=すがのもろお
次に
菅竃由良度美=すがかまゆらどみ

また多遲麻比多訶=たじまひたか、とその姪である
菅竃由良度美=すがかまゆらどみ、との間に誕生した子は
葛城の高額比売命=かづらきのたかぬかひめのみこと

彼女は息長帯比売=おきながたらしひめ(神宮皇后)の母親である。

また天之日矛は八種類の宝物を持ちこんだ。

玉津寶(たまつたから)と呼ばれる玉を緒に貫いた物を二点。
浪振る領巾・浪切る領巾
風振る領巾・風切る領巾
奥津鏡(おきつかがみ)・邊津鏡(へつかがみ)

これらは伊豆志の八前の大神*1である。

*1、兵庫県出石郡の出石神社の祭神のこと

さてここで神宮皇后のことが出てきましたね。
彼女の母親は・・・というより祖先が渡来人であることにさりげなく触れています。
また彼女の姓である息長氏と言うのは日本古来の姓と思いきや
彼女が活躍した五世紀頃にはこの姓は文献には現れてきません。
この古事記が編纂された八世紀頃にようやく見える姓なのです。
彼女・・そして応神は・・・ふふふふふ・・・( ̄ー ̄)何モノ?・・にやり


8、秋山の下氷壮夫=あきやまのしたびおとこ、と春山の霞壮夫=はるやまのかすみおとこ
一人の美しい女神がいた。
名は伊豆志袁登売神=いづしおとめのかみ、という。
大勢の男神達がこぞって求婚したが誰一人として成功しなかった。

ここに二人の男神の兄弟がいた。
兄は
秋山の下氷壮夫=あきやまのしたびおとこ
弟は
春山の霞壮夫=はるやまのかすみおとこ
という。

ある日、兄が弟に言った。
「私は伊豆志袁登売神=いづしおとめのかみ、に求婚したのだが失敗してしまったよ。お前もきっとダメだろうな・・・。」
「何をいいますか、兄さん。私なら必ず成功しますよ。」
弟の余りの自信ある答に怒った兄は
「よし!もしお前が求婚に成功したなら、私はこの着物を脱いでお前にやろう。そしてこの身長ほどの甕の酒を飲んでやろう。そうだ、この世の悉くを賭けてもいいぞ!!」
「よろしい。賭けましょう」

その夜、弟は兄との賭けの事を何もかも母に打ち明け相談した。
すると母は一晩のうちに藤の蔓を使って 着物・袴・靴下・弓矢などを作り上げた。
そしてそれを弟に着せると伊豆志袁登売神の家に向わせた。

弟が伊豆志袁登売神の家につくと身につけているものが悉く藤の花になった。
その藤に隠れて忍びこみ、同じく藤の花になった弓矢をこっそり厠の窓にかけておいた。
そこへ厠にやってきた伊豆志袁登売神が
「おや?こんな所に藤の花が?」といぶかしんで外に出てきたところを捕まえ、
さっさと婚いをしてしまった。
彼女はその後一人の子を産んだ。

さて弟は勇んで家に帰ると兄に伊豆志袁登売神を手に入れたことを告げた。
まさか、成功するとは思っていなかった兄は非常に悔しがり 弟をねたんだ。
そして賭けのことを忘れたふりをして弟に何一つ渡さなかった。

弟が早速その事を母に告げにいった。
「なんということだろう。約束を守らないなど、神でありながら人間のようなあさましい行為だ。」
母親は大変に嘆き怒り、兄に呪いをかけた。

すなわち
伊豆志河の竹を取って、目の粗い籠を編み、
伊豆志河の石をひろい、海水に漬けて竹の葉で包み、
呪いの言葉を弟に言わせた。
「この竹の葉の萎びるように萎びていけ!この鹽に干からびよ!この石のように沈め!そして衰弱して死に至れ!」
そして諸々のものを釜戸の上に置いた。

この呪いによって八年もの間、兄は苦しみつづけた。
そして泣いて許しを請い、呪いを解いてもらい、 ようやく兄に安らかな日が訪れた。


ちょっと不思議な昔話のようなお話が前後の脈絡もなく唐突に挿入されています。
私は海幸彦山幸彦の話をふと思い浮かべたのですが、
やはり地方豪族との争いを描いたものなのでしょうか?
または名前に季節を折りこんでいるだけに何か自然災害的なものを伝えようとしたとか?
無理やりこじつけますとですね(^^)
長い異常気象などで飢饉が続いたりして、これは天皇に「徳」がないからだ!!
(または渡来人だからだ!!)とか言われないように
実は神様の世界でこんな出来事があったから、地上の飢饉は仕方ないんだよ・・・みたいな
そういう言い訳の為のお話!!(にゃはは・・・汗
私はあたらずとも遠からず・・とか思ってますが(^^ゞ

しかし・・・なんと言う求婚でしょうか・・・(汗
弟よ・・・強姦だろう・・それは・・(-_-;)
まあ・・それは置いといて・・(おいといていいのか!・・苦笑
次にいきますか♪


9、天皇の御子孫
応神天皇の御子である若野毛二俣王=わかぬけふたまたのみこと
百師木伊呂辨=ももしきいろべ(またの名を弟日売眞若比売命=おとひめまわかひめのみこと)
との間に誕生した御子は
大郎子=おおいらつこ(またの名を意富富杼王=おほほどのみこ)
次に
忍坂の大中津比売命=おさかのおおなかつひめのみこと
次に
田井の中比売=たいのなかひめ
次に
田宮の中比売=たみやのなかひめ
次に
藤原の琴節郎女=ふじわらのことふしのいらつめ
次に
取売王=とりめのみこ
次に
沙禰王=さねのみこ

また根鳥王=ねとりのみこ(応神天皇の御子)と
三腹郎女=みはらのいらつめ、との間に誕生した御子は
中日子王=なかひこのみこ
次に伊和島王=いわじまのみこ

また堅石王=かたしはのみこ、の御子は
久奴王=くぬのみこ

この天皇の御年、一百三十歳(ももあまりみとせ)
御陵は河内の惠賀の裳伏の岡*1にある。

*1、大阪府南河内


長い長い応神天皇の項でしたが、
そのほとんどは大雀のことや神功のことなどで 彼自身のことはものすごく少ない不思議な天皇でしたね(^^;
この記述の少なさなどから応神・仁徳同一人物説もあります。
武の部分を応神に、徳の部分を仁徳に、それぞれ分けたというんですね。
何故そのようなことをしなければならなかったのかといいますと やはり年代でしょうか・・・。
古事記に出てくる古代の天皇は異常に長生きですが、これもみんなつじつま合わせなんですね。
しかしながらこれ以降は中国の史書にもちょこちょこと大和の国のことが 記述されるようになり、
余りむちゃくちゃはできなくなってきたように思います。
倭の五王のことが出てくるのもこの時代になります。


さてさて♪ようやく長かった中つ巻も完了いたしました(^^)
本来ならもう下つ巻まで終わっていてもいいくらいなのに亀更新で申し訳ありません(汗)
これからも頑張りますのでどうぞよろしくお願いいたします。

中つ巻・・・完

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