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第二十九分室へようこそ!どうぞお付き合いの程よろしくお願いいたします。


4、髪長比売=かみながひめ

日向国の諸縣君=もろがたのきみ、の娘に髪長比売という大変美しい乙女が居た。
その美しさは諸国に鳴り響くほどでやがて天皇の耳にも届いた。
早速天皇が宮に上げる為に呼び寄せた時に偶然、大雀の太子が難波の湊でその比売をみかけ見初めてしまった。
思い募る大雀は建内宿禰大臣=たけうちのすくねのおとど、に頼み込んだ。
「どうか、この乙女を私に下さるように天皇に申し上げてくれないか?」
あまりに熱心な大雀の頼みに建内宿禰は天皇に御意見を伺ってくれた。
天皇は快く承知し、髪長比売を迎える宴の席で
比売に柏の杯を持たせ、大雀の太子に賜った。

その時に天皇の詠った歌
いざ子ども 野蒜摘みに 蒜摘みに 我が行く道の 香ぐはし 花橘は 上枝は 鳥居枯らし 下枝は 人取り枯らし 三つ栗の 中つ枝の ほつもり 赤ら嬢子を いざささば 良らしな
【みなのもの! 野蒜を摘みに出かけた私の見つけた香しい花橘は上の枝は鳥がみんなついばんでしまい、下の枝は人が取り尽くしてしまい、中の枝に隠れていた紅顔の乙女は今まさに持っていかれようとしているよ】

水溜まる 依網の池の 堰杙打ちが 挿しける知らに 蓴繰り 延へけく知らに 我心しぞ いや愚にして 今ぞ悔しき
【依網の池の堰の杙を打つものが池にジュンサイがその茎をのばしているのも知らないで杙を打ってしまった・・まったく私の心も知らないで・・】

また太子が乙女を賜った時に詠った歌
道の後 古波陀嬢子を 雷の如 聞こえしかども 相枕枕く
【道の果てにある遠い国から雷のように鳴り響く美しさの乙女と共寝出来るなんてなんて幸せなんだろう】

道の後 古波陀嬢子は 争わず 寝しくをしぞも 愛しみ思ふ
【道の果てにある遠い国から雷のように鳴り響く美しさの乙女は抵抗することもなく、私と寝てくれたよ。なんて愛しい人だろう。】

応神天皇はかなりの女好きだったようです(苦笑)
母親へのチョットした反抗心からか、政治的な意味合いからか・・どちらでしょう(笑)
日向の国からわざわざ・・となると
政略的な意味も大きかったかもしれませんが
結局は息子に横取りされちゃってますね(^^ゞ
なんだか応神天皇という人は八幡大明神とかいわれて武門の神さまだぁ〜〜と
言う割にはパワフルな母親と出来た息子に挟まれて結構情けない男だったように 感じます。(^_^;)
側近にはうるさいじいや(建内宿禰)もいましたしねぇ〜〜
せっかく息子に潔く髪長比売をゆずったのにぐちぐちと未練たらしい歌を詠んだりして・・。
またかなりの酒好きでもあったみたいですね。
歌に出てくるたとえが酒の肴っぽいのばっかり・・・(笑)

5、国主(くず)の歌・百済(くだら)の朝貢
吉野の国主等(よしののくずども)*1が大雀=おおささぎ、の腰の太刀をみて詠った歌は

品陀の 日の御子 大雀 大雀 佩かせる太刀 本つるぎ 末ふゆ 冬木如す からが 下樹の さやさや
【日の御子である大雀様のお腰の太刀はなんて素晴らしく清々しいのだろう。まるで氷のような鋭さを持っているではないか】

そして彼らは白樫の森で横に長い臼を作り、その臼で酒を作りおどけ踊りながら歌った歌は

白樫の上に 横臼を作り 横臼に 醸みし大御酒 うまらに 聞こしもち食せ まろが父
【さあ、白樫の森の横臼で作った酒を召しあがってください。我等の父のような大雀の御子様】

この歌は今に至るまで長く歌い継がれている歌である。

また百済の国王(こにきし)である照古王=しょうこおう、からの貢ぎものとして
阿知吉師=あちきし、が雄牝の馬と横刀、大鏡などをたづさえてやってきた。
この時に我が天皇は百済の国の賢者を国に招きたいとの意向を伝えたので あらゆる技術者が日本にやってきた。

論語十巻、千字文一巻、(漢字)を持って和邇吉師=わにきし、が。
鍛冶技術者として卓素=たくそ、が。
呉の機織技術者として機織の女二人が。
酒の醸造の技術者として仁番=にほ、(またの名を須須許理=すすこり)が。
わが国にそれぞれの技術を伝えた。

天皇がこの須須許理の醸造した酒を飲んでゴキゲンになって詠った歌。

須須許理が 醸みし御酒に 我酔ひにけり 事無酒 笑酒に 我酔ひにけり
【須須許理の作った酒で私は酔ってしまったようだ。この平穏無事な笑いを誘う酒で私は酔ってしまったようだ】

この時、酔った天皇は歌いながら大和から河内の道を歩いていたがふとみると
道の真ん中を大岩が塞いでいる。
天皇が杖でその大岩を打つと大岩はあわてて走り逃げてしまった。
諺にある「堅石も酔人を避く」というのはこの時の様子を言うものである。

この天皇に御世に海部・山部・山守部・伊勢部*2を定めた。

*1、吉野川上流域にすんでいたと思われる土着の民
*2、海部・・・海産物を貢納した部族。山部、山守部・・・山林を管理した部族。伊勢部・・・伊勢一帯を天皇に代わって管理する部族(全て天皇直轄領における)

この項は応神天皇の時代に国内国外ともに掌握出来ている事を示しているように思います。
それが応神天皇の力ではないにせよ(建内宿禰とか神宮皇后とか大雀であったにしても)
たしかにこの時代にはあらゆるものが大陸から渡来した時期であり
国内の産業革命とも言うべき時期にあたるかも・・・。
また後の蘇我氏の祖先ともいわれている満智=まち、と同一視されている木満致=もくらまんち、の やってきたのもこの時期だし、
聖徳太子を協力にバックアップしていた秦氏の祖ともいわれている弓月君=ゆつきのきみ、が 来日したのもこの頃だと言われていますしね。
日本が大きく変わっていった重要な時期だと思います。

6、大山守命の反逆
さて、天皇がお亡くなりになったととき、大雀は先の天皇の言葉にしたがって次の天皇を 宇遲能和紀郎子=うぢのわきいらつこ、に譲った。
しかし大山守命はどうしても自分が天皇になりたいと思っていたので武器兵士を集め 密かに挙兵の準備をしていた。
その事を知った大雀は急ぎ宇遲能和紀郎子に知らせて迎え撃つ準備をはじめた。

先ず宇治川のほとりに兵を潜ませ、対岸の小高い岡の上に替え玉の宇遲能和紀郎子を座らせた。
そうしておいて自分は粗末な身なりに着替え船頭の振りをして大山守命を待った。
そこへ大山守命は衣の下に鎧を着こみ、二心が無いように装いやってきた。
彼は川向こうに弟王がいると思いこみ大雀の変装した船頭に船を出すように命じた。
川の中ほどまで来たときに大山守は船頭に問うた
「私はこれから猪を取りに行くつもりだが猪は取れるかな?」
「出来ないでしょう」
「なぜ、そう思うのだ?」
「時々の運がありますからね・・」
ふと・・大山守が不信に思ったとき、大雀は船を大きく揺らして彼を川に落とした。

この時に大山守が流されながら詠んだ歌
ちはやぶる 宇治の渡に 棹執りに 速けむ人し 我もとにこむ
【宇治川の渡し場のなかで一番すばやい物は早く私を助けにきてくれ!】

しかしこの時ほとりに潜んでいた兵等はいっせいに矢を放ったので大山守は 矢に貫かれ流れていってしまった。
そして訶和羅(かわら)に至った時についに沈んでしまった。
訶和羅の由来はこの時、大山守の鎧が「かわら」と鳴ったからといわれている。

その後大山守の遺体を引き上げた時に大雀が詠った歌。

ちはやひと 宇治の渡りに 渡り瀬に 立てる 梓弓檀弓 い伐らむと 心は思えど い取らむと 心は思えど 本方は 君を思い出 末方は妹を思い出 苛なけく そこに思い出 かなしけく ここに思い出 い伐らずぞくる 梓弓檀弓
【宇治のほとりで弓を作ろうと思い、枝を切ろう、枝を取ろうと思うのだけど、あなたとの思い出を思い出して悲しくて・・だけど弟との思い出も思い出して悲しくて・・・私の心は苛々していました。】

大山守命の遺骸は那良山に葬られた。

さて、この後大雀と宇遲能和紀郎子はお互いに皇位を譲り合って3年の間天皇位は空位が続いた。
この間天皇に差し上げるべき大贄をもって両御子の間を往復していた海人は ついに行き来に疲れて泣き出すほどであった。
これを諺に「海人や己が物によりて泣く」という。

しかしその間についに宇遲能和紀郎子が亡くなってしまったので
大雀は天皇の位につくことになった。

流されながら詠ってる場合か!大山守!!(笑)
最初から怪しかったでしょ(^^)大山守!
彼は自分が長男なのに末っ子がなんで後継ぎなんだぁ〜〜と 憤る腕に自身がある純情真直ぐ君だったわけなんですよねぇ〜〜(^_^;)
その点力では劣るけど知恵はある大雀は事態をよ〜〜く見ていました。
力だけでは下々の者の協力を得られないことをよく感じていたんですね。
そこでかなり汚いやり方ですが(日本の英雄はえてしてこういう策を講じて勝ってますが・・) 大山守を排除。
ただやっぱり大山守の方が弟よりは近しい関係だったんでしょうねぇ・・・
かなり悲しい歌を詠んでますし・・・
でもそれはそれ!これはこれ!って感じ(^^;)
後は甘ちゃんの弟ですからなんとでもなります。
古事記では弟はただ死んだとなっていますが、書紀では彼は自殺した事になっています。
自分が生きていては総てに優れている兄がいつまでたっても皇位についてくれない。
だから自分は死ぬことにしよう・・と。
うううう・・・あやしい!!(爆)
怪しいですよねぇ〜〜〜( ̄ー ̄)
この時弟の死後3日たってようやく大雀は弟の元に駆けつけ弟の名前を3回呼んだそうな。
そしたら弟が一瞬生き返って
「兄さんこそ、誠の王だ!」って叫んでまた死んだんだって・・・ふ〜〜ん(-.-)



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