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第三十二分室へようこそ!どうぞお付き合いの程よろしくお願いいたします。

4、女鳥王=めとりのみこ、と速総別王=はやぶさわけのみこ、の反逆
さて、
ある日天皇は異母妹の女鳥王を宮に入れたいと思い、弟である速総別王に仲介を頼んだ。
速総別王は早速、女鳥王のもとへ出かけていき、天皇の気持ちを伝えたが
女鳥王はそれをきっぱりと断った。
「いやです!大君さまの大后さまが大変嫉妬深いので、あの八田若日売さまでもご苦労なさっているではないですか。
私はそんなところへ嫁ぐくらいなら速総別王さまと一緒になりたい。」
速総別王は彼女の気持ちに添い、そのまま女鳥王の家にとどまり、
天皇への報告をしなかった。

しばらく報告をまっていた天皇だったが、あまりに遅いのでついに痺れを切らして
自ら女鳥王の家までやってきた。
そして門のところに腰掛け、機を織っている彼女に向かって歌った御歌は

女鳥の 我が王の 織ろす機 誰が料かも
【私の愛しい女鳥がおっている衣はいったい誰の衣かなぁ】

それに答えて女鳥王が歌った詩は
高行くや 速総別の 御襲料(みおすいがね)
【愛しい速総別さまのご衣裳でございます】

それを聞いた天皇は彼女の心をしり、がっかりして宮へ帰っていった。

ちょうどその時、速総別王が帰ってきた。
その姿を見て、女鳥王が歌った歌は

雲雀は 天に翔ける 高行くや 速総別 雀とらさね
【ひばりのような小さい鳥でさえもあんなに天高く飛んでいるではありませんか。
さあ!隼(速総=はやぶさ)はいまこそ雀(大雀命つまり仁徳天皇のことを指している)を取るべきです!】

この歌を聞いた天皇はさすがに怒った。
すぐに軍を出して二人を殺そうと家を取り囲んだが
二人は倉椅山(くらはしやま)に逃げ込んだ。
ここで速総別が歌った歌は

梯立ての 倉椅山を 嶮しみと 岩かきかねて 我が手取らすも
【なんて倉椅山は嶮しいんだろう。岩に手をかけることさえ大変だ。】

梯立ての 倉椅山は 嶮しけど 妹と登れば 嶮しくもあらず
【倉椅山はすごく嶮しいけれど、愛しい人と登れば苦しくはないものだ。】

こうして山を越えたが宇陀の蘇邇(うだのそに)*1で遂に追っ手に追いつかれ 殺されてしまった。
この時軍を率いていた将軍は山部大楯連=やまのべのおおたてのむらじ、という。
彼は殺した女鳥王の腕にあった美しい玉の付いた腕輪を見つけると、 役得とばかりにそれを盗み取り彼の妻に与えた。

それからしばらくして宮廷で豊楽(とよのあかり)*2が催された。
各氏々の女性たちも皆、宮中に参内した。
もちろん山部大楯連の妻も参内し、その腕には夫からの贈物の玉の腕輪が巻かれていた。
宴の中で女性たちは皆、大后直々に酒の柏を賜ることになっていた。
次々と皆、酒の柏を頂戴していたが山部大楯連の妻の番になったとき
大后はその腕の腕輪が誰のものであるかすぐに気付いた。
彼女は山部大楯連の妻には柏を与えずにその場を下がらせ、山部大楯連本人を呼ぶように申し付けた。

何事かとあわててやってきた山部大楯連に天皇は烈火のごとく怒り
「お前は何故、ここに呼ばれたか、わかっているのか!お前の妻の手に巻いてある玉は貴様が私の愛しい人から剥ぎ取ったものであろう!
まだ私の愛しい人の骸が暖かいうちに剥ぎ取ったものであろう!!」
と叫ぶと、山部大楯連*3に死刑(ころすつみ)を言い渡した。

*1、奈良県宇陀郡
*2、別名、豊明。宮中での宴会のことを特にこう呼ぶ。
*3、日本書紀では佐伯直阿餓能胡=さえきのあたいあがのこ、となっている。
また事件が起こった年も、石乃日売の死後のことになっている。


また女がらみの事件ですぅ〜〜(^^; これを読んだだけだと女鳥がハヤブサをそそのかした様に見えますよぇ〜〜。
それもそのはず!前に出たかわいそうな日売・・八田若郎女は女鳥の実のお姉さんなんですね。
いやだ!私は絶対お姉さんみたいな思いは味わいたくない!
誰か助けて〜〜!・・で・・ターゲットはハヤブサへ・・・(爆)
可哀相なのはハヤブサ・・かと思いきや、彼はこのチャンスを逃せば一生冷や飯食いなんですよねぇ〜。
なにしろ彼の母親の身分は低く、日嗣の御子になるなんて夢のまた夢。
私はただ女鳥恋しで動いたのではないと思うのです。
彼女の実家の力を当てにしたのではないかなぁ・・・とか・・・
でも結局女鳥の実家の丸邇氏は動いてはくれませんでした。
もうすでに一人娘を送り込んで跡継ぎは生まれてるし、いまさら下の娘にそれを台無しにしてもらっちゃぁ困る!
ってなところでしょうか?
というわけで・・二人は愛の逃避行(苦笑)
まあ・・手に手をとって逃げたわけですから愛がなかったとは言いませんが
そこにある種の打算も絡んでいただろうなぁ・・と私は思うのです。
すみません・・ロマンティックじゃなくて・・(汗

あと・・・注釈でも少し触れていますが
この話はイワノヒメの生きているうちか?死んだ後か?ということなのですが
古事記と日本書紀では時期が少々違います。
古事記ではイワノヒメが玉の腕輪を見咎めたということになっていますが
日本書紀ではヤタヒメがそれを発見したことになっています。
また其の犯人の名前も違うのです。
これは一体どうしたことでしょう?

私はこの事例で記したかったのは「法」ではないかと考えています。
この天皇の御世にはきちんと刑法・・罪人を裁く法があったんだよ。と 伝えようとしたのではないでしょうか?


5、雁の卵の祥瑞
またある時、豊楽を催すため天皇が日女島*1へ出かけていったとき
その島で雁が卵を産むのを見た。
天皇は不思議に思い、健内宿禰を呼び歌でその理由を尋ねた。

たまきはる 内の朝臣 汝こそは 世の長人 そらみつ 倭の国に 雁卵生むと聞くや
【長くこの世に生きているお前ならばこのことについて説明できるであろう。今までにこの倭の国で雁が卵を産んだのを見たり聞いたりしたことがあるか?】

健内宿禰も歌で答えた。

高光る 日の御子 諾しこそ 問いたまへ まこそに 問いたまへ 吾こそは 世の長人 そらみつ 倭の国に 雁卵生むと 未だ聞かず
【尊い日の御子様よ。あなたが不思議に思い、お聞きになるのももっともなことです。私は長くこの世に生きてあらゆることを見聞きしておりますが、これまで雁がこの倭の国に卵を産んだことはありません。】

続いて、御琴*2をお借りして歌った歌は

汝が御子や 終に知らむと 雁は卵生むらし
【あなたの御子様がこれから後、いついつまでもこの国を治めていくという証に雁は卵を産んだのでしょう】

この歌は本岐歌(ほきうた)*3の片歌である。

6、枯野という船
この天皇の御世に、兔寸河の西に大変大きな樹があった。
その樹の大きさといえば・・
朝日があたるとその影は淡道島までとどき、夕日があたると高安山*4を越えるほどであった。
その樹を切り、船を作ると、今までにない速さであった。
船の名は「枯野(からの)」と名づけられた。

枯野は長い間、天皇に献上する水を淡道島の寒水(しみず)から運ぶ役目をしていたが
老朽化が進み船底に水が漏るようになってしまった。
船は焼かれ、その灰からは塩が取られ、焼け残りの木材からひとつの琴が作られた。
その琴から流れる調べは七里に及んだ。

枯野を 塩に焼き 其が余り 琴につくり かき弾くや 由良の門の 門中の海石に ふれたつ 侵漬の木の さやさや
【枯野を塩に焼いたあとの残りで作ったことの音といったら・・・由良の港の岩礁でゆらゆらとゆれている海草のようにさやさやと優しげではないか】

この歌は志都歌の歌返しである。


この天皇の御年、八十三歳(やそぢまりみとせ)。
御陵は毛受の耳原(もずのみみはら)*5にある。

*1、大阪府三島郡
*2、天皇が神のお告げを聞くときには琴を弾きながらということになっている。
*3、縁起のよい歌
*4、大阪府中河内郡
*5、大阪府堺市


またわけのわからない小話が続きました(苦笑)
古事記にはいつも何をたとえているのかわからない話が唐突に挿入されています。
これは後世の人間への謎掛けなのでしょうか?

まあ・・雁の話の方はまだ仁徳本人が絡んでますし・・
仁徳の時代に瑞祥があったということで納得しましょう。
健内宿禰が長生きすぎるんじゃね〜か!ということはおいといて(笑)
宿禰については前にも少々触れていることですし(^^;

後の枯野のほうですが・・
う〜ん・・・謎ですねぇ〜・・
枯野という名前からして謎ですがそこから水・塩・琴という3つのものが得られたということも
一体何を指し示しているのやら・・・
私の場合、高い木というとつい、御柱(おんばしら)を思い出してしまうのです。
御柱というと出雲系の神の流れ・・・皇孫系の流れの下で静かに流れる影の流れ・・・
そして・・・ここぞというときには必ず出てきますよねぇ・・・( ̄ー ̄)にやり・・
ほとんどたたりをなすものとして・・・。
水・塩は生き物が生きていく上でなくてはならないもの・・・
琴は神託を得るのに必要なもの・・・
そして広い範囲でこの国に「影」を落とすもの・・・
名前は影にふさわしく「枯野」・・・ふっふっふ・・・
むちゃくちゃあやしいぃぃぃ〜〜〜〜!!(爆)
すみません・・暴走してます(^^;
でも・・面白いでしょ♪(ねぇよっ!!)


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