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第三十三分室へようこそ!どうぞお付き合いの程よろしくお願いいたします。

履中天皇
1、后妃皇子女
伊邪本和気命=いざほわけのみこと、は伊波禮の若櫻宮(いわれのわかざくらのみや)*1において、政を行って国を治めた。
この天皇と
葛城の曽都毘古=かつらぎのそつひこ、の息子の
葦田宿禰=あしたのすくね、の娘、黒日売=くろひめ、との間に誕生した御子は
市邊の忍歯王=いちのべのおしはのみこ
次に
御馬王=みまのみこ
次に
青海郎女=あをみのいらつめ(またの名を飯豊郎女=いいとよのいらつめ)


2、墨江中王=すみのえのなかつのみこ、の反逆
さて、この天皇の始めての新嘗祭(大嘗祭)*2の夜のこと、
天皇は儀式を終え、豊明(宴会)でしたこま酒を飲んでぐっすりと寝込んでいた。
その隙を狙い、かねてから天皇位を狙っていた弟御子である墨江中王は、
天皇の寝所となっている大殿に火を放った。

深く眠り込んでいた天皇はまったく火に気付かず、危ういところを
倭の漢直=やまとあやのあたえ、の祖先である
阿知直=あちのあたえ、が
天皇をこっそりと運び出し、馬に乗せて逃げ出した。
天皇は多遲比野(たぢひの)*3に差し掛かったころ、ようやく目を覚まし
「ここはどこだ?」とお尋ねになった。

ことの次第を阿知直から聞いた天皇の詠んだうた
多遲比野に 寝むと知りせば 立薦も 持ちて来ましもの 寝むと知りせば
【多遲比野で野宿をすると知っていれば風除けの薦くらいは持ってくるものであろうよ】


次に波邇賦坂(はにふさか)からまだ燃えている難波の宮を望み見て詠んだうた
波邇賦坂 我が立ち見れば かぎろいの 燃える家群 妻が家のあたり
【波邇賦坂から難波を見ればなんと陽炎のように家々が燃えている。あの辺りは私の妻の家がある辺りだな】


次に大坂の山の入り口に至ったとき一人の少女に出会った。
彼女は
「この山には兵たちが大勢おりますゆえ、當岐麻道(たぎまち)を回っていったほうが良いでしょう。」
と忠告してくれた。

このときに天皇が詠んだうた
大坂に 遇ふや嬢子を 道問へば 直には告らず 當岐麻道を告る
【大坂で出会った乙女に道を尋ねたら、彼女はまっすぐ行けとは言わずに遠回りの當岐麻道の道を教えられたよ】


この後、天皇たちは忠告どおり當岐麻道を抜け石上神社(いそのかみじんじゃ)に逃げ込んだ。


*1、奈良県磯城郡
*2、天皇がその年の収穫を天神地神に献上し、またそれを自身が食し、収穫を祝う儀式。
即位後初めて行う新嘗祭(にいなめさい)を特に大嘗祭(だいじょうさい)という。
*3、大阪府南河内郡


3、水歯別命=みずのはわけのみこと、と曾婆訶理=そばかり
弟の水歯別命はこの事件を知ると天皇を心配して急いで石上神社にやってきた。
が、天皇は水歯別命にも疑いをもち、あってはくれなかった。
どんなに自分は少しの反逆心も持っていないといっても信じてはくれない。
天皇はそのうち、墨江中王を殺してくれたら信じようと言い出した。
「わかりました。では私が行って必ず兄御子の墨江中王を倒して参りますからそのときは必ず会ってください。」
そういうと水歯別命は難波に向かった。

まず、水歯別命は難波で墨江中王の近くに仕える人物、
曾婆訶理=そばかり*4
に接近した。
「曾婆訶理よ。もしお前が私に協力してくれたなら私はきっと天皇になれるだろう。
そのときは必ずお前を大臣にしてやるから、二人で天下を治めようじゃないか。」
「命様のおっしゃるままに・・・。して・・私は何をお手伝いいたせば?」
「お前の使える墨江中王を殺してくれればよい。それで私は天皇になれる。」

曾婆訶理は水歯別命の言を信じて己が主人を裏切る事にした。
早速主人の下に戻り、隙を狙い、王が厠に入ったときを狙って矛で刺し殺した。

こうして首尾よく墨江中王の暗殺を完了した曾婆訶理は意気揚々と水歯別命と倭に帰還することとなった。

だが、水歯別命は大坂の山に入る頃にふと思った。
「このものは主人を裏切った者だ。約束でもあるし功にも報いなければならないが、 裏切り者が生きているのもまたおかしい事だ。」

そこで一計を案じた水歯別命はこの地に急ぎ仮宮を作り、ここで曾婆訶理の大臣任命の式を行うと告げた。
曾婆訶理は喜んで大臣の位を受け
「ああ、これで私も大臣だ。望みがかなった」
と、喜び有頂天であった。
祝いの宴で命は顔を隠すほどのおおきな酒椀に酒を盛り、まず自分が飲んだ。
次にその椀を曾婆訶理に渡し、酒を勧めた。
そして曾婆訶理が酒を飲んでいるその隙に隠しておいた剣を取り出し
一刀のもとに切り捨てた。

今この仮宮は近飛鳥(ちかつあすか)*5とよばれている。

さてその翌日、水歯別命は倭に向かった。
「天皇にはここで祓禊(はらえ)をして明日、お伺いいたします。と伝えよ。」
といい、一夜をそこで過ごした。
今、この地は遠飛鳥(とおつあすか)*6とよばれている。

翌日、石上神社へ向かい、
「すべては無事に終わりました。」
と、報告し、ようやく天皇に会う事が出来た。


ここにおいて、一安心した天皇はようやく自分を助け出してくれた
阿知直=あちのあたえ
に対して恩賞を与える余裕ができ、
彼を蔵官(くらのつかさ)*7に任命した。

またこの天皇の御世に
若桜部臣=わかさくらべのおみ・比売陀君=ひめだのきみ
の両家は現在の姓を授かった。


この天皇の御歳、六十四歳(むそじまりよとせ)。
御陵は毛受(もず)*8にある。


*4、日本書紀では名前は「刺領布=さしひれ」となっている。
*5、河内の飛鳥
*6、大和の飛鳥
*7、物品の出納をつかさどる役
*8、大阪府堺市


反正天皇
先皇の弟である水歯別命は
多治比の柴垣宮(たぢひのしばがきのみや)*9において政を行った。

この天皇は身の丈九尺二寸半、
歯の長さは一寸、幅は二分、上下とも美しく整い
まさに玉をつないだようにすばらしい歯並びであった。

この天皇と
丸邇の許碁登=わにのこごとの娘、都怒郎女=つぬのいらつめ、との間に誕生した御子は
甲斐郎女=かいのいらつめ
次に
都夫良郎女=つぶらのいらつめ

また都怒郎女=つぬのいらつめ、の妹、弟比売=おとひめ、との間に誕生した御子は
財王=たからのみこ
次に
多訶べ郎女=たかべのいらつめ

この天皇の御歳、六十歳(むとせ)。
御陵は毛受野(もずの)にある。


*9、大阪府堺市

この墨江中王の反逆の事件については日本書紀においては履中が太子だったときの話になっています。
ですが、古事記においては大嘗祭の夜のことになっていますし、堂々と即位後の事件として記載しています。
日本書紀は皇族が編纂に関与しているので天皇に対して反逆とはとんでもない!という考えだったのでしょうねぇ・・
天皇と太子では天と地ほどの違いがありますし(^^;
余談ですが壬申の乱のときに大友皇子が天皇としてではなくあくまでも王子として扱われているのも
そういうわけなんだと思いますよ。
私自身はこのとき大友はもう即位して天皇だったと思ってますし・・(笑)
まあ・・そんな事はおいといて・・・

この履中!!酔って寝込んで家臣に運び出され・・・
挙句の果ては野宿するのに薦がどうとかこうとか・・・おいおい・・( ̄△ ̄;
しかもこの酔いつぶれも相手の墨江中王に女を寝取られてふてくされて飲んだ酒という話も・・
(不倫の発覚に命の危険を感じた墨江中王が決起したらしい・・・^^;)
いいこと一つも書かれてませんねぇ・・・悲しい事に(苦笑)

その点水歯別はかなりいい男扱いです(笑)
今で言うところの歯がキラリン♪のさわやか二枚目好男子♪
でもやり方は汚い・・(笑)
だけどここでも日本書紀では水歯別がやったんじゃなくて
側近がばっさりやったということに・・・(^^;
あくまでも皇族いい奴♪な日本書紀なのでした・・・

まあ・・彼はこのときの功績を認められ皇太子に任ぜられたわけなんですが
実際に天皇になってからの項の記述にはまったく何も書かれていません。
后妃と御子たちのことだけですねぇ・・
後は歯がキラリン♪だった事だけ(笑)

ここでちょっとポイントなのは履中が逃げ込んだ先が石上神社だったこと(^^)
石上神社は昔から物部氏の氏神です。
古事記には全く出てきませんが履中脱出にかかわり、意見できるほどの氏族の中にすでに
物部、平群の両氏が出てきているんですね。
で、古事記に出てきている東漢の祖となった阿知直。
東漢氏は後ほど蘇我氏の私的な軍隊のようになっています。
また蘇我氏の祖と言われている蘇我満智=そがのまち、が登場するのもこの頃です。
なのにこの脱出劇に蘇我氏の名前はチラとも出ていない・・・。
ここに当時の両氏族の政治力の強さがが垣間見えてとても面白いです(^^)
(っていうか・・・蘇我氏自体が歴史から抹殺されようとしたのかも知れませんね・・^^;)


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