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第二十四分室へようこそ!どうぞお付き合いの程よろしくお願いいたします。

景行天皇(3)

4、小碓命の東伐
次に景行天皇は倭建命に
「東の方の十二の国の荒ぶる神*1とまつろわぬもの*2どもを倒し従わせてまいれ!」
と命令を下し、
吉備臣の祖、御スキ友耳建日子=みすきともみみたけひこ(スキは変換できませんでした。申しわけありません。*金偏に且) を、供につけ、杠谷樹(ひいらぎ)で作った八尋矛(やひろほこ)*3を授けた。
倭建命は東に向って旅立つ途中で伊勢の大御神宮(伊勢神宮)によって神に戦勝祈願をした。
その際斎宮をしていた叔母の倭比売命=やまとひめのみことに謁見し、はらはらと涙をこぼしながら 訴えた。
「父天皇は私が死ねば良いと思っておられるに違いない。征西から戻ったばかりだというのに、もう東の悪しき者どもを討ち果たせと申される。」
その姿に哀れを感じた倭比売命は倭建命に
「これは貴方が本当に困ったときに開きなさい。」
と言って小さな袋と神剣の草薙剣を手渡した。

倭建命は途中、尾張の国にさしかかった時に尾張国造=おわりのくにのみやっこの祖
美夜受比売=みやずひめ の屋敷に立ち寄った。
ここで倭建命は美夜受比売とは婚姻する予定であったが 戦いの前であるのを理由に 帰りにまた立ち寄るのでその時に必ず婚姻しようと約束して再び旅だった。

さて、無事「東の荒ぶる神々、まつろわぬ人々」を平定した倭建命はさらに北上していた。
途中、相武の国(さがみのくに)*4にさしかかった時にその国の長からこの国の大沼に棲む悪い神を退治して欲しいと懇願された。倭建命は快く承知したがこれは御子を亡き者にする為の罠であった。
倭建命はその沼があるという草原に分け入っていったが、その時相武の国の長は草原の端から火を放った。 枯れかけていた草原に火は瞬く間に燃え広がり、ようやく倭建命も欺かれた事に気付いた。
しかし火の周りは大変早く逃げるにはもはや遅すぎた。
その時倭建命は倭比売にもらった袋のことを思いだしそれをあけてみた。
中には火打石が一組入っていた。
倭建命は早速剣を抜き、周りの草を刈ると自分の周りに安全地帯を作った。そうしておいてこちらからも火を放ち迎え火をした。
こうして危機を脱した倭建命はこのあと相武の国の長を切り殺しこの辺一帯に火を放って焼き尽くしてしまった。
それで今でもこのあたりを焼津(やいず)*5と言う。

ヤマトタケルのお話は結構有名なものが多いので聞いた事のあるかたもいるかも^^
この事件から神剣は「天叢雲剣=あめのむらくものつるぎ」から「草薙剣=くさなぎのつるぎ」と名前を変えました。
でも・・この事件・・計画性がありすぎ!とか思いませんか?( ̄ー ̄)
これはきっと父天皇の陰謀に違いない!!だって御子殺害計画ですよ!一般ピープルにこんな大それたことが出来ませんって!これは今上天皇の意思があったからこそ!だと思いますね・・・
ほんでヤマトヒメ!きっと計画を知ってたんですね。だからこそこっそり「火打石」を渡したんですよ!きっと!彼女も兄には逆らえなかったんですね・・・
実の父に殺されそうになった息子・・・出発の時も泣いちゃってましたが・・・
だからでしょうか?この後の怒りが大爆発!なにも一帯全て焼き尽くさなくても・・・ねぇ・・

そこからしばらく行くと走水の海(はしりみずのと)*6にさしかかった。
ここで一行は船旅になったが、海が荒れて一向に進めない。それどころがあまりの嵐に船が危なくなってきてしまった。
その時、倭建命の后である、弟橘比売=おとたちばなひめが
「これは海の神のお怒りに違いありません。私が人柱となって海に入りましょう。」
といって、畳を八重に敷き、その上に皮を八重に敷き、またその上に絹を八重に敷き、波に浮かべると その上に乗って波間に消えていった。

その時に弟橘比売が読んだ歌
さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中にたちて 問いし君はも
【あの相模の野で火をつけれられて大変な時も貴方は私のことを気遣ってくださいましたね】

后の姿がすっかり見えなくなると不思議な事にあれだけ荒れていた海は瞬く間に静かになり、一行は無事に海を渡りきることが出来た。
それから七日の後、海岸に弟橘比売の櫛が流れついた。
倭建命はその地に立派な御陵をつくり、比売の形見である櫛を治めた。

またそこより奥に進み、荒ぶる蝦夷(えみし)*7を平定するとようやく帰路につくことにした。
帰りの道で足柄の坂本の坂で坂の神の変化した白い鹿に出会った。
倭建命がその時噛んでいた蒜(ヒル)*8をすばやく吐き出すとそれが鹿の目にあたり、鹿は死んでしまった。
この坂を去るときに御子が后のことを思い出して、三回も
「吾妻はや・・・」【ああ・・わが妻よ・・】
とつぶやいたので、現在この地を阿豆麻(あづま)*9と呼ぶ。

その国を越えて甲斐の国*10にさしかかった時に御子が読んだ歌。
新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
【新治 筑波を越えて 一体どのくらいたったのだろう・・】

その時料理番の老人が御子の歌に続けて
かがなべて 夜には九夜 日には十日を
【随分経ちましたね。夜は九回も昼は十回も迎えてしまいましたよ】

その返歌にとても気をよくした倭建命はその老人に褒美として東国の国造の地位を与えた。

そこから科野国(しなののくに)*11に入り、この国の神を退治し、尾張国に戻ってきた。
御子は早速約束を果たす為に美夜受比売の元に向った。
しかし比売には月のもの(月経)が来ていた。

そこで倭建命が読んだ歌
ひさかたの 天の香具山 利鎌に さ渡る鵠(くぐい) 弱細 手弱腕を 枕かむとは 我はすれど さ寝むとは 我は思へど 汝が著せる 襲の裾に 月立ちにけり
【せっかく久しぶりにであって白鳥の首のように白く細いその腕を枕に寝ようと思っていたのに君の衣装の裾を血が汚している。月のものがきているのだね】

美夜受比売の返歌
高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの 年が来経れば あらたまの 月は来経往く 諾な諾な諾な 君待ち難に 我が著せる 襲の裾に 月立たむなよ
【ああ気高き日のような私のあなた.ずっとずっとずっと待っていたので待ちきれなくてとうとう月のものがきてしまったのよ】

しかし結局その晩御子は比売と一晩を過ごした。

さて次の朝、伊吹山*12の神を平らげに行く事になった。
この時倭建命は
「この山の神は素手で殺して見せるよ」
といって、その神剣である草薙剣を美夜受比売のもとにおいて出かけていった。
その上御子は山に入るなり出てきた白い猪に向って
「お前はこの神の使いだな!後できっと殺してくれるぞ!」
と言挙げをしてしまった。

しかし実はこの白猪こそこの山の神であった為、この山の神は大氷雨を降らせ、霧、霞などで散々御子達を惑わし続けついには御子達はその場で気を失ってしまった。
しばらくして意識を取り戻した一行はふらふらと玉倉部の清水(たまくらべのしみず)にたどりつくとようやく意識がはっきりとしてきた。
現在この地は居寤の清水(いさめのしみず)と呼ばれている。

*1、荒々しく人間に危害を与える神
*2、支配下に入らぬもの、従わぬもの
*3、ひいらぎは魔除けになると信じられていた。
*4、相模の国。今の神奈川県辺り
*5、今の静岡県焼津町。上の神奈川県とちょっと矛盾している。
*6、現在の浦賀水道
*7、今のアイヌ人の祖先とおもわれる
*8、ユリ科の食用植物強い香りを持つため魔除けに使われていた
*9、東国を称して呼ぶ言葉
*10、今の山梨県あたり
*11、今の長野県あたり
*12、今の滋賀県と岐阜県の境のあたり

うひゃあ〜〜!!ミヤズヒメにいいカッコをしたらこのザマですよ・・・ったく・・
せっかくヤマトヒメが託したお守りの神剣を女のとこにおいてくなんて!!
しかも!ミヤズヒメに月のものが来ているにもかかわらず床を一緒にして・・いやん♪
いやいや・・恥かしがってる場合じゃないですよ!これはタケルが血に汚れたという事を暗示しているんじゃないかと私は考えておりますゆえ・・・。
タケルは負けるべくして負けたのですよ。
その上またまたいいカッコをして「言挙げ」なんかするもんだから・・・
言挙げというのは言霊信仰の強かったこの時代、むちゃくちゃ危険な技なんですよ!
言葉に出した事は必ずおこるのです・・・。今でも結婚式では別れるきれるは使わないでしょ^^
しかも勘違いの言挙げ!
今までのタケルの絶好調からは信じらんないような体たらく!!(悲)
と・・・なればやっぱりミヤズヒメも刺客の一人だったんだろうか・・・?
色仕掛けで垂らしこむ女スパイ??(爆)
とことんお父ちゃんに嫌われてしまったタケルなのでした・・・とほほ・・

所で・・この神剣の草薙剣はその後も色々と事件がありましたが(ちょっと小耳を見てね♪)
現在も尾張(愛知県)の熱田神宮に祭られています^^。
熱田神宮を守っているのはもちろんミヤズヒメの子孫です。

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