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第二十五分室へようこそ!どうぞお付き合いの程よろしくお願いいたします。

景行天皇(4)

5、倭建命の薨去(こうきょ)
しばらく行ったところで倭建命の足は痺れ疲れ、なかなか歩みが進まなくなってしまった。
「私の心は空を飛ばんばかりに急いでいるのに、私の足はたぎたぎしくなって*1、ちっとも思う通りにうごかない・・・。」
この時の御子の言葉により、この地は當藝(たぎ)*2と名付けられた。

またそこより少し進んだ所でとうとう倭建命は杖無しでは歩けないようになってしまった。
それで、この地を杖衝坂(つえつきさか)*3と名付けられた。

ようやく尾津の前(おつのさき)*4の一つ松にたどり着いた時、御子達一行はその松の根方に一つの太刀があるのを見た。
その太刀は前回この地を通った時、この松の下で昼食を取り、その際に御子が置き忘れたものであった。
その事に心嬉しく思った御子が詠んだ歌

尾張に 直に向へる 尾津の崎なる 一つ松 あせを 一つ松 人にありせば 太刀佩けましも 衣着せましも 一つ松 あせを
【尾張を望む尾津の一つ松よ ここでずっと私を待っていてくれたんだな。お前が人だったら 褒美に素晴らしい衣装と太刀を賜るのになあ・・ああ一つ松よ・・・】

またしばらく行くと倭建命が苦しそうに言った。
「もう私の足は・・三重に曲がってしまったかのように動かない・・とても疲れた・・・」
それゆえ、この地を名付けて、三重という。

ようやく一行は能煩野(のぼの)*5にたどり着いたが倭建命はもう一歩も動けなくなっていた。
この地で御子が国を偲んで歌った歌。

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるわし
【大和の国はこの国の中で一番の所だ、青々とした山々に囲まれて・・ああ大和はなんて美しいんだろう・・・】

命の 全けむ人は 畳薦 平群の山の 熊白樫が葉を 鬢華に挿せ その子
【いま、命のあるものは平群の山の熊白樫が葉を髪に挿しなさい。さあ・・命のある物達よ・・・】
*平群の山の熊白樫が葉を髪に挿すというのは長寿を祈るおまじない。

愛しけやし 吾家の方よ 雲居起ち来も
【ああ・・懐かしい我家の方から雲がわいて来ているなァ・・】
この歌は途中で御子のご容態が悪化した為、片歌となってしまった。

倭建命の容態はどんどん悪くなりとうとう、この地において、亡くなってしまった。
最後に御子が読んだ歌

嬢子(おとめ)の床の邊に 我が置きし 剣の太刀 その太刀はや・・・
【ミヤズヒメの元に置いてきた草薙剣は一体どうなっただろう・・・】


ここに倭建命薨去の知らせを早馬で知った御子の家族が大急ぎで集まってきた。
家族達はこの地に御陵を作りその御陵の廻りの田んぼに這いつくばり大声で泣き叫んだ。
この時に詠まれた歌

なづきの田の 稲幹に 稲幹に 匍い廻ろふ 野老蔓(ところづら)
【悲しみのあまり、いねがらにまみれてはいつくばう私達はまるで山芋の蔓のようです・・】

この時、倭建命の魂は八尋白智鳥(やひろしろちどり)*6に変化し御陵を抜けて浜の方へむけ天高く飛び立っていった。驚いた家族達は木の切りかぶや小枝に足を切り裂かれるのもかまわず、痛いのも忘れて白智鳥を追った。
この時彼等が詠んだ歌

浅小竹原 腰なづむ 空は行かず 足よ行くな
【腰までの笹薮が私達をさえぎってなかなか進めない。でも空を飛べないから足で行かなくては】

海處行けば 腰なづむ 大河原の 植え草 海處はいさよふ
【腰までの海水の中を行く私達はまるで川面の草のように足元がおぼつかないよ・・】

濱つ千鳥 濱よは行かず 磯傳ふ
【千鳥よ 歩き易い濱を行かずに 歩きにくい磯を行きなさい】

この四つの歌は今においても天皇の大御葬(おおみはふり)の時に読み上げられる歌である。

さてこの白智鳥は大和の国をでて、河内の国の志畿(かわちのくにのしき)*7に降り立った。
それゆえこの地には白鳥御陵が築かれた。
しかし、白智鳥はこの地をも飛び立ち、遠く天の果てに飛んでいってしまった。

*1、足元が痺れてはかどらない様子
*2、現在の岐阜県養老郡
*3、現在の三重県三重郡
*4、現在の三重県桑名郡
*5、現在の三重県鈴鹿郡
*6、白鳥
*7、大阪府南河内郡


とうとうヤマトタケルは山の神の呪いで命を失ってしまいます。
こんなになってようやくミヤズヒメのところに置いて来た神剣のことを思い出しちゃってます。
遅すぎるって!!
日本最初のヒーローにしては、なんて哀しい末路でしょう・・・(T_T)

しかし・・・怪しいのは死んでからの行動(?)です。
これは有名な白鳥伝説ですが、タケルの魂は最終的には空のかなたに消えていってしまうのです。
不思議ですよねぇ〜〜・・・。
この死んでから鳥になって何処となく飛んでいってしまう・・というのは、昔話においては 結構見られるエピソードですが、これを皆さんはどう考えますか???
チベットには鳥葬という考え方がありますが、これは死体を放置してその肉をとりに食わせ、 その鳥が空に飛んでいくことによって死者の魂も空に帰っていける・・・という考えなので、 タケルの場合とはちょっと違うような気がします。
昔話の作り事さ!と片付けてしまうのは簡単ですが、一応この古事記というのは天皇に献上した、 国の歴史書です。
トンでもない作り事をでっち上げたというのはないのでは・・・
ある程度根拠のある事だったのではないでしょうか?
空を飛ぶ不思議な乗り物に乗ってタケルはこの地上から姿を消した・・なんて・・えへへへ・・ ねぇ〜〜・・いいじゃないですか!!そう言う解釈も^^


6、倭建命の子孫
倭建命と
伊玖米天皇=いくめのてんのう(*垂仁天皇)の娘、布多遲能伊理比売命=ふたぢのいりひめのみこと との間に誕生した御子は
帯中津日子命=たらしなかつひこのみこと
この御子は後に仲哀天皇となる

また海に入って倭建命を救った弟橘比売命=おとたちばなひめ との間に誕生した御子は
若建王=わかたけるのみこ

また近つ淡海の安国造の祖、意富多牟和気=おおたむわけ、の娘、布多遲比売=ふたぢひめ、との間に誕生した御子は
稲依別王=いねよりわけのみこ

また吉備臣建日子の妹、大吉備建比売との誕生した御子は
建貝兒王=たけかいこのみこ

また山代の玖玖麻毛理比売=くくまもりひめ、との間に誕生した御子は
足鏡別王=あしかがみわけのみこ

またある女との間に誕生した御子は
息長田別王=おきながたわけのみこ

この息長田別王の子は
杙俣長日子王=くひまたながひこのみこ

この杙俣長日子王の子は
飯野眞黒比売命=いいのまぐろひめのみこと
次に
息長眞若中比売=おきながわかなかつひめ
次に
弟比売=おとひめ

この飯野眞黒比売命と若建王との間に誕生した御子は
須賣伊呂大中日子王=すめいろおおなかつひこのみこ

この須賣伊呂大中日子王と淡海の柴野入杵の娘、
柴野比売=しばのひめ、との間に誕生した御子は
迦具漏比売命=かぐるひめのみこと

この迦具漏比売命と大帯日子天皇(景行天皇)との間に誕生した御子は
大江王=おおえのみこ

この大江王と銀王=しろがねのみこ、との間に誕生した御子は
大名方王=おおながたのみこ
次に
大中比売命=おおなかつひめのみこと

この天皇(景行天皇)の御年、一百三十七歳(ももあまりみそぢまりななとせ)。
御陵は山邊*1の道の上にある。

*1、奈良県磯城郡


ここではタケルの子孫がずらずらと列挙されています。
この中で注目するのは息長姓が出てくるところですね。
しかも「ある女」とあり、その名も系統も全く記載されていない母から誕生しています。
息長と言えば・・・そう!!息長帯比売命!!のちの神宮皇后です!
彼女の出自はとても謎に満ちていて、父親の息長宿禰王もナゾな人です。
この頃に唐突に正史に現れる「息長氏」・・・
また「帯=たらし」という名もこの頃に現れます。
この次に天皇となるのも若帯日子・・・・その次も帯中日子・・・
ううう〜〜ん・・怪しい( ̄ー ̄)・・


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