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第二十三分室へようこそ!どうぞお付き合いの程よろしくお願いいたします。

景行天皇(2)

3、小碓命の西征
ある日、天皇は小碓命を呼んで命令をした。
「お前の兄の大碓は朝夕の朝廷での会食に全然参加しないではないか。お前が教え諭して明日からは連れてくるように。」

しかしそれより五日たっても大碓が会食に訪れる事はなかった。
天皇が痺れを切らし、小碓に尋ねると彼はケロリとしてこう言った。
「兄は言っても聞かないので、朝、厠に入るところを待ち構えて捉え、手足をもぎとり、薦(こも)*1に巻いて捨ててしまいました。」

この時小碓はまだ髪をひさごに結った、少年であったにもかかわらず、この気性の荒々しさに恐れを成した天皇は彼を自分の元から遠ざけることにした。

この頃西の国には熊襲建=くまそたける*3、の兄弟を中心に朝廷に属さない国があった。
天皇はこの国へ小碓をやることに決めた。
少年小碓は父天皇の命令に逆らうわけにはいかず、伯母の倭比売=やまとひめ*2、から彼女の服を賜り、懐に剣を入れて旅だった。

小碓が熊襲に着いた丁度その時、熊襲建=くまそたける の邸宅の新築祝いの宴が催されていた。
彼は伯母から賜った服を着け、髪を女結いにして女装をすると、懐に剣を忍ばせて宴の女たちの中に紛れ込むことに成功した。しかも熊襲建の二人の兄弟は小碓の女装した女を見初め、二人の間に坐らせて楽しげに酌をさせ始めた。
小碓はすっかり二人が酔った頃を見計らい、突然懐から剣を取りだし兄建の方の首を切り落とした。そして驚き逃げる弟の背中から剣を貫いた。
「お前は・・誰だ・・・」
「私は纏向の日代宮に坐まして大八島国を知らしめす大帯日子淤斯呂和気天皇=おおたらしひこおしろわけのすめらのみことの御子、倭男具那王=やまとのおぐなのみこ!! 西の国のまつろわぬ国を平らげよ、との天皇の勅によって参った!!」
「この西の国にも、大倭の国にもわれ等兄弟よりも強い者はないと、思っていた・・・ ・・・お前はわれ等を倒したのだから・・この名を譲ろう・・今この時をもって・・倭建命と名乗れ・・・」

弟建の最後の言葉を聞き終わると小碓はその体を熟した瓜のように真っ二つにした。
小碓はこの時より「倭建命=やまとたけるのみこと」と名乗る事になる。

さて倭建命は帰りの道中で山の神、河の神、穴戸(ししと)の神*4を次々と従わせ、ついに出雲の国に入った。
彼はここで、出雲建=いずもたける を倒す為の策略を練った。
まず、倭建命は出雲建と友人となることに成功し、二人で肥河で沐浴をする事になった。
そこで倭建は以前から密かに用意しておいた、刀身を木で作った木刀を腰につるし何気ない様子で言った。
「君の剣と僕の剣を友情の証に交換しないか?」
「なるほど、いいね。交換しよう!」
そのあと二人は沐浴をはじめたが倭建はすぐに上がり服を着けると出雲建に切りかかった。
出雲建はすぐに応戦したが、剣が木刀であったため応戦かなわず、切り殺されてしまった。

この時に倭建の詠んだ歌

やつめさす 出雲建が 佩ける刀 黒葛多纏き さ身無しにあわれ
【いずものたけるがもっている剣は 中身が無くて可哀相だなぁ】

こうして、倭建は大和へ帰っていった。

*1、筵(むしろ)やござのようなもの
*2、伊勢神宮の祭祀を務めていた
*3、熊襲にすむ猛々しい強い男という意味
*4、海峡の神のこと

いきなり兄殺しというなんとも濃い事件から始まります・・・(-_-;)大体この頃タケルは15〜6歳という所でしょうか・・
この兄を連れてくるはずだった朝夕の会食というのは結構意味深です。この会食に参加するという事は天皇に二心なし、を証明する為のものだったと思われるからです。この会食に出てこないという事は謀反を企てていると思われてもしょうがない行動だったと考えられます。
なにしろ父の女を寝取ってますからねぇ・・・(苦笑)でてきにくかったでしょうけど・・・^^;
この時タケルは兄を殺してしまったと父に報告していますが、私はタケルは兄を逃がしてやったのではないかと考えています。だって・・・景行天皇の性格から考えると兄のオオウスが残酷に殺されたっておかしくない事体ですよねぇ〜〜
そこでタケルは兄をどこか父の目の届かないところに逃がしてやったのでは!!と思うのです。
死体も確認できないようにばらばらにして捨てた!ってごまかして^^。
父はきっとその事もみぬいた上でタケルの知恵(悪知恵?)に恐れをなしたのではないかなぁ・・。

タケルはその後も知恵(悪知恵?・・笑)で苦境を乗り切っていきます。
日本で人間としては最初のヒーローとしてはちょっと・・・せこい感じですが・・・(汗) クマソタケルの時は100歩譲るとしても、イズモタケルの時は・・・ねぇ〜〜(ーー;)
挙句の果てに自分でやっといて「剣がなくてかわいそうだなぁ〜」はないだろ!!おい!
でも・・・ヤマトタケルって・・人気があるんですよねぇ〜〜(^_^;)

さてさて・・・もう一つだけ!
名前のことですが・・この時代に名前を譲るという事はすごい大変な事を意味します。
諱(いみな)って御存知ですか?これは他人に教えてはいけない自分の本当の名前の事です。
この名前は自分自身を表すものでこの名前を知られるという事は他人に自分を支配されるという事につながっていくのです。ですから普段はいわゆる字(あざな)と呼ばれる通称で呼ばれるわけなんですね。この風習はずっと明治時代くらいまで残っています。(戸籍が確立するまで)
オウスがタケルに・・・なんだかさらりと流してしまうクダリですが、実はすご〜〜く深い意味があるんですねぇ〜〜( ̄ー ̄)ふ・・・
さあ!次はタケルは東へ向います!!

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