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第三十六分室へようこそ!どうぞお付き合いの程よろしくお願いいたします。



雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)
1、后妃皇子女
大長谷若健命(おおはっせわかたけのみこと)は長谷の朝倉宮において天下を治められました。

大日下王(おおくさかべおう)の娘、若日下部王(わかくさかべおう)を娶いて皇后とされました。
皇后との間には子供はありません。

葛城大臣円(かつらぎのおおおみつぶら)の娘、訶良比売(からひめ)を娶いて生まれた御子は
白髪命(しらがのみこと)
若帯比売命(わかたらしひめのみこと)

白髪命は日嗣の御子となり、御名代として白髪部を定めました。
また、長谷部の舎人、河瀬の舎人を定めました。

この頃、大陸より呉人が移民してきました。
彼らは一所に集め住まわせ、その地は呉原(くれはら)と名づけられました。


※御名代(みなしろ)=皇族の個人に仕える私的な部民
※舎人(とねり)=皇族の個人に仕える警備や雑用などに従事する者
※呉人=多分、高麗人ではなかったかと思われる。彼らは養蚕を伝えた。


2、皇后求婚

大后がまだ日下の地におられた時
雄略天皇は大和から生駒山を越える近道を通って河内にやってきました。
途中山の上から、ふと見ると堅魚木(かつおぎ)をあげて館をつくっている家が見えました。
「この堅魚木を上げている館は誰の家だ」
天皇が尋ねると
「ここは志幾の大縣主(しきのおおあがたぬし)の屋敷でございます」
と知ったものが答えました。
「天皇の館に似せて、館を作るなど言語道断!焼いてしまえ!」
即刻、人を遣わせて火を放とうとしたところ
館の持ち主、大縣主が大変恐れ畏まって平伏低頭し
「私ごときが恐れ多い過ちを犯してしましました。贈り物をいたします。どうかお許し下さい」
そういうと、布をかけ、鈴をつけた白い犬を腰佩(こしはき)という一族の者に縄を持たせ献上しましたので
火をつける事は中止しました。

天皇はその犬を若日下部王のもとへ
「今日、手に入れた珍しいものだ。そなたへの求婚の印の贈り物とする」
と、送り届けますと
「あなたは今日、日に背中を向けておいでになられました。これはとても不吉なことでございます。いずれ私の方から直接宮中に参りますので、今日はお帰り下さい」
との言葉をもって使いの者がやってきました。

これを聞き、宮に帰る途中、山の上で天皇の呼んだ歌は

【日下部の 此方の山と 畳菰 平群の山の 此方此方の 山の峡に 立ち栄ゆる 葉廣熊白檮 本には いく竹生い 末方には たしみ竹生い いくみ竹 いくみは寝ず たしみ竹 たしには率寝ず 後もくみ寝む その思い妻 あはれ】
※日下部のこっちの山と平群の山のあちらこちらの山の谷間に、立ち茂る葉の広い大樫。 根元には竹が組み合って生え、いくみ竹のように寝ず、たしみ竹のようにも寝ず、 しかし後にはからなず組みあって寝よう、いとしい妻よ
(簡単に説明しますと、「山から見下ろしたらでっかい樫の木の根元で竹が組み合って仲良く睦み合っているようだ。 なのにおれは妻に共寝もしてもらえず帰らなければならないとは残念。でもきっとあとで思い切り共寝してもらうぞ、妻よ」って感じかな・・簡単すぎ(笑))
この歌を持たせて、若日下部王の使いを帰しました。


※堅魚木(かつおぎ)=神社建築などに見られる、屋根に丸い柱を横たえて並べた装飾。神のすまう所にしか許されない

3、赤猪子(あかいこ)

ある時、雄略天皇が美和川付近へ出かけますと、川辺で洗濯をしている娘がおりました。
その姿、大変美しく、天皇は思わず声をかけてしまいます。
「そなた、どこの娘だ?」
「私は引田部の赤猪子(あかいこ)ともうします」
「よし、いつか迎えに参るので、そなたはどこへも嫁がず待っておれよ」
こういい残して宮へ帰った天皇は
それっきり、すっかりこの出来事を忘れてしまいます。

さて・・・
一方この言葉を信じて赤猪子はひたすら待ちに待ちます。
時は流れ・・・・
その美しかった姿かたちは老い、痩せしぼんで見る影もなくなり・・・
ついに80歳を過ぎたとき赤猪子は決心します。
多くの貢物を携え天皇に会いに行くのです。

面会した雄略天皇は
「どこの老女だ?何をしにきた?」
とつれない言葉。

「私はかつて、美和の川辺でお声をかけていただいた赤猪子でございます。お迎えに来られる日を待ち、ついにこのような歳になってしまいました。もうこの先、長くは生きられませんでしょうから、死ぬ前にずっとお待ち申しておりました事をお伝えにまいりました」
「いや・・すっかり忘れていた。申し訳ないことをした。もうその歳では婚姻というわけにはいかないなあ、よし、そなたには歌を贈ろう」

御諸の 巌白樫がもと 白樫がもと ゆゆしきかも 白樫原童女
(そなたは三輪山の神威ある年を経た白樫の木のように、手をふれがたいなあ、美しきかしはらのおとめよ)

引田の 若栗栖原 若くへに 率寝てましもの 老いにけるかも
(引田の生い茂る若い栗林のように、若々しい時に共寝したかったなあ、すっかり老いてしまって残念だ)

この歌を聞いて赤猪子ははらはらと赤い袖に涙を零しながら

御諸に つくや玉垣 つき余し 誰にかも依らむ 神の宮人
(三輪山に築きかけの玉垣のような私、神(天皇)の想い人である私は、誰にもたよれず、誰にも声もかけてもらえない一生でした)

日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨しきろかも
(河内の日下の入江で戯れる若い男女たちの様子がとても羨ましかったです)

この歌を聞いた天皇は赤猪子を大変哀れに思い、
沢山のみやげものを下賜し里へ返しました。


この4句は志都歌でございます。
※志都歌とはテンション低く謳う歌のこと。

4、吉野(よしの)

ある日、天皇が吉野の宮へ出かけたとき、吉野川のほとりに大変美しい娘をみかけました。
早速、その娘とまぐわい、次に出かけてきたときには娘の家に自分専用の居間を作り呉床座(あぐらい)をしつらえ、
琴を弾いて娘を舞わせるほどのお気に入りとなりました。
その時に詠んだ歌

呉床座の 神の御手もち 弾く琴に 舞する女 常世にもがも
(呉床座で私が琴を弾いて、愛する女が舞を舞う。何て幸せなんだ、永遠に続いてほしい)

また、ある日
天皇は吉野の阿岐豆野(あきつの)へ、この付近に猪鹿が出るというので狩りに出かけました。
呉床座に座り猪鹿が出るのをまっていると、アブが天皇の腕を刺そうとしました。
その時一匹のトンボが飛んできて、アブを捕獲して飛び去りました。

その時に詠んだ歌

み吉野の おむろが嶽に 猪鹿伏すと 誰れぞ 大前に奏す やすみしし 我が大君の 猪鹿待つと 呉床に坐し 白妙の 衣手著なふ 手腓に 虻かきつき その虻を 蜻蛉早咋ひ かくの如 名に負はむと そらみつ 倭の国を 蜻蛉島とふ
(ここ吉野へ行けば素晴らしい猪鹿がいると誰が私におしえたのだ。来て待っていると何という事だ!この国を統べる大君である私の白い袖の中のうでを虻が刺そうとしたではないか!しかし、その無礼な虻を蜻蛉が退治してくれたぞ。その褒美に、今この時よりこの国の名前を蜻蛉島[あきつしま]と名づけようではないか)

そしてこの出来事があったこの地は阿岐豆野(あきつの)と呼ばれるようになりました。

※呉床座(あぐらい)=足を組んで座る小さな椅子のようなもの。

5、葛城山(かつらぎさん)

ある日、天皇が葛城山に出かけた時、大猪に遭遇しました。
突然の事に、慌てて矢を射ったため、狩り用の矢ではなく、間違って儀式用の鏑矢を使ってしまい
致命傷を与える事が出来ず、手負いとなった大猪が怒り狂って襲い掛かってきました。
慌てて手近な榛の木へ逃げ登り、樹上で詠んだ歌。

やすみしし 我が大君の 遊ばしし 猪の病猪の 唸き畏み 我が逃げ登りし 在丘の 榛の木の枝
(しまった、失敗した。手負いの猪に追いかけられてしまった。たのむから枝よ、折れないでくれよ)

またある日、同じ葛城山へ大勢の供を連れて出かけた時のこと。
共々は皆青い衣に赤い帯という華やかな装いでしたが
ふと気付くと、向いの山の尾根に鏡に映した様に全く同じ装い、同じ人数の行列があります。

天皇は向かいの行列の自分に向かって問います。
「この倭の国に私以外の王はいないはずだ。貴様は一体何者だ」

すると向かいの行列の王からも同じ言葉が返ってきます。

これに怒った天皇は供の者たち全員に弓を番えさせると
向かいの行列も同じように弓を番えます。

「名をなのれ!しからばこの弓を下ろさせよう」
「では、先に問われたので私から名のろう。吾は悪き事も一言、良き事も一言で言い放つ、葛城の一言主の神(かつらぎのひとことぬしのかみ)ぞ」
これに驚いた天皇は
「なんと!まさか神が人の姿でお出ましになるとは!皆のもの、弓を下ろせ!」
天皇一行はすべての武器を捨て、すべての供たちの衣類を脱がせ、一言主神に奉納させました。

「よろしい」
一言主神は喜び、ポンポンと手を打ち捧げ物を受け取りました。
そして天皇一行が山を降りるのを長谷の山口まで見送りました。

一言主の神がお姿を現したのはこの時のみです。

※一言主は葛城氏の祖神
※日本書紀ではこの時雄略は一言主の神に勝利し、一言主の神を土佐に流したことになっている。


6、金?岡(かなすきのおか)・長谷の百枝槻(はせのももえつき)

ある日、天皇は丸邇の佐都紀臣の女(わにのさつきのおみのむすめ)
袁杼比売(をどひめ)に会いに春日へ行く途中、美しい少女を見かけました。
その少女が天皇一行を見て恐れて、岡の向こうへ逃げて隠れてしまった時に詠んだ歌

媛女の い隠る岡を 金?も 五百箇もがも ?撥ぬるもの
(ああ、ここに金属の?がたくさんあればいいのに。彼女の隠れた岡を手当たり次第掘り起こして探すのに)

この時より、この岡を金?岡(かなすきのおか)と呼ぶようになりました。

またある日、
長谷で天皇のために生い茂るケヤキの木の下で酒宴が催されました時。
伊勢国の三重采女が天皇の大御杯にケヤキの枝が浮いているのに気付かず、
天皇の前に捧げ持ってきたため、気付いた天皇の怒りを買ってしまいました。
天皇の怒りは凄まじく、采女を散々に打ち据え、
そして今にも首を切らんとしたとき采女が叫びます。
「お待ち下さい。殺される前に聞いていただきたい事があります」

その時に采女が詠んだ歌

纏向の 日代の宮は 朝日の 日照る宮 夕日の 日がける宮 竹の根の 根垂る宮 木の根の 根蔓ふ宮 八百土より い築きの宮 真木さく 檜の御門 新嘗屋に 生い立てる 百足る 槻が枝は 上枝は 天を覆へり 中つ枝は東を覆へり 下枝は 鄙を覆へり 上枝の 枝の末葉は 中つ枝に 落ち触らばへ 中つ枝の 枝の末葉は 下つ枝に 落ち触らばへ 下枝の 枝の末葉は あり衣の 三重の子が 指挙せる 瑞玉盞に 浮きし脂 落ちなづさひ 水こをろこをろに 是しも あやに恐し 高光る 日の御子 事の 語言も 是をば
(天皇の宮は 朝日夕日の照り輝くところ 竹の根 木の根が張るところ 土台のしっかりした宮 檜の宮 生い茂るその枝は上の枝は天を覆い 中の枝は東国を覆い 下の枝は西国を覆う そして上の枝葉は中へ落ち 中の枝葉は下へ落ち 下の枝葉は 私の捧げ持つ瑞玉盞へ落ち その枝葉は まるでこの国が出来たときのように こをろこをろとかたまり 日の御子であらせられる 天皇の前に現れたのでございます これは吉兆にござります)

天皇はこの歌を聞いて喜び、采女を赦します。


その時に太后の詠んだ歌

倭の この高市に 小高る 市の高處 新嘗屋に 生い立てる 葉廣 五百箇真椿 其が葉の 廣りいまし その花の 照りいます 高光る 日の御子に 豊御酒 獻らせ 事の 語言も 是をば
(ほほほ、うまいことをいうわね さあもういいから このやまとの国の一番素晴らしい宮 美しいたくさんの椿の花が照る宮 そこに住まいする尊い日の御子へその酒をさしあげなさい)

またこの時天皇の詠んだ歌

ももしきの 大宮人は 鶉鳥 領巾取りかけて 鶺鴒 尾行き合へ 庭雀 うずすまり居て 今日もかも 酒みづくらし 高光る 日の宮人 事の 語言も 是をば
(ははは その宮では鶉や鶺鴒や雀たちが今日もかしましく睦みあったり酒盛りをしているらしいぞ)


この機転の利いた出来事で三重の采女は沢山の褒美を賜ったとのことです。

さてこの酒宴には春日の袁杼比売も同席しておりました。
袁杼比売が天皇より御酒を頂くときに天皇が詠んだ歌

水灌く 臣の嬢女 秀吹iほだり)取らすも 秀錘謔閨@堅く取らせ 下堅く 彌堅く取らせ 秀錘謔轤キ子
(さあ、この酒樽をしっかりもちなさい その手でつかんでいよいよ堅くしっかりと持ちなさい)
※秀垂ニは男性器の別称(^^;

これは宇岐歌でございます。
※宇岐歌=酒の席での戯れの歌

この歌への袁杼比売の返歌

やすみしし わが大君の 朝とには い倚り立たし 夕とには い倚り立たず 脇机が下の 板にもが あせを
(ああ いとしい大君さま 朝にも夕にも一日中あなたのそばにいる脇机の板になりたいものですわ)

これは志都歌でございます。



雄略天皇は己巳の年の八月九日に崩御されました。
御歳百二十四歳(ももあまりはたちまりよとせ)。
御陵は河内の多治比の高?(たぢひのたかわし)にございます。



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