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第十九分室へようこそ!どうぞお付き合いの程よろしくお願いいたします。

綏靖天皇=すいぜいてんのう
神沼河耳命=かんぬなかわみみのみこと は葛城の高岡宮(かつらぎのたかおかのみや)*1 において、政を行なった。
この天皇と河俣比売=かわまたひめ との間に誕生した御子は
師木津日子玉手見命=しきつひこたまでみのみこと

この天皇(綏靖天皇)の御年、四十五歳(よそぢまりいつとせ)
御陵は衝田岡(つきだのおか)*2 にある。

*1、奈良県南葛城郡
*2、奈良県高市郡

この天皇から以下開化天皇までの八人を 欠史八代 といって実在性が疑問視されています。
この八代は一気にいってしまおうと思っていますのでこのページは少々長くなるかもしれません。
申しわけありませんがよろしく御願いいたします。

安寧天皇=あんねいてんのう
師木津日子玉手見命は片鹽の浮穴宮*1 において、政を行なった。
この天皇と河俣比売の兄、縣主波延=あがたぬしのはえ の娘である
阿久斗比売=あくとひめ との間に誕生した御子は
常根津日子伊呂泥命=とこねつひこいろねのみこと
次に
大倭日子すき友命=おおやまとひこすきとものみこと【*すきは変換できませんでした(T_T)】
次に
師木津日子命=しきつひこのみこと

この師木津日子命には二人の御子があった。
一人は「伊賀の須知の稲置・那婆理の稲置・野の稲置」の祖となった。
もう一人の
和知都美命=わちつみのみこと は淡道の御井宮(あわぢのみいのみや)に祭られている。

和知都美命には二人の娘があった。
姉を
蝿伊呂根=はえいろね(またの名を意富夜麻登久邇阿禮比売命=おおやまとくにあれひめのみこと)
妹を
蝿伊呂杼=はえいろど
という。

この天皇(安寧天皇)の御年、四十九歳(よそぢまりここのとせ)
御陵は畝火山の御陰にある。

*1、奈良県北葛城郡

懿徳天皇=いとくてんのう
大倭日子すき友命は軽の境岡宮(かるのさかいおかのみや)*1 にて政を行なった。
この天皇と師木縣主の祖である、
賦登麻和訶比売命=ふとまわかひめのみこと(またの名を飯日比売命=いいひひめのみこと)との間に誕生した御子は
御眞津日子訶恵志泥命=みまつひこかえしねのみこと
次に
多藝志比古命=たぎしひこのみこと

この天皇(懿徳天皇)の御年、四十五歳(よそぢまりいつとせ)
御陵は畝火山の眞名子谷の上にある。

*1、奈良県高市郡

孝昭天皇=こうしょうてんのう
御眞津日子訶恵志泥命は葛城の掖上宮(かつらぎのわきがみのみや)*1 にて政を行なった。
この天皇と尾張の連の祖である、
沖津余曾=おきつよそ の妹の余曾多本比売命=よそたほひめのみこと との間に誕生した御子は
天押帯日子命=あめのおしたらしひこのみこと
次に
大倭帯日子国押人命=おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと

この天皇(孝昭天皇)の御年、九十三歳(ここのぢまりみとせ)
御陵は掖上の博多山の上にある。

*1、奈良県南葛城郡

孝安天皇=こうあんてんのう
大倭帯日子国押人命は葛城の室の秋津島宮(かつらぎのむろのあきづしまのみや)*1 にて政を行なった。
この天皇と
姪忍鹿比売命=めいおしかひめのみこと との間に誕生した御子は
大吉備諸進命=おおきびのもろすすのみこと
次に
大倭根子日子賦斗邇命=おおやまとねこひこふとにのみこと

この天皇(孝安天皇)の御年、一百二十三歳(ももあまりはたちまりみとせ)
御陵は玉手の岡の上にある。

*1、奈良県南葛城郡

なんだかずらずらと系譜ばかりが並んでつかれますねぇ〜(^^ゞ
こう言うとこが存在を疑問視される元になっているんですね・・・きっと・・(苦笑)


孝霊天皇=こうれいてんのう
大倭根子日子賦斗邇命は黒田の廬戸宮(くろだのいおどのみや)*1 にて政を行なった。
この天皇と
十市縣主の祖である大目=おおめ の娘
細比売命=くはしひめのみこと との間に誕生した御子は
大倭根子日子国玖琉命=おおやまとねこひこくにくるのみこと

また、春日の千千速眞若比売=ちちはやまわかひめ との間に誕生した御子は
千千速比売命=ちちはやひめのみこと

また、意富夜麻登玖邇阿禮比売命=おおやまとくにあれひめのみこと との間に誕生した御子は
夜麻登登母母曾比売命=やまととももそひめのみこと
次に
日子刺肩別命=ひこさしかたわけのみこと
次に
比古伊佐勢理毘古命=ひこいさせりひこのみこと(またの名を大吉備津日子命=おおきびつひこのみこと)
次に
倭飛羽矢若屋比売=やまととびはやわかやひめ

また、意富夜麻登玖邇阿禮比売命の妹、
蝿伊呂杼=はえいろど との間に誕生した御子は
日子寤間命=ひこさめまのみこと
次に
若日子建吉備津日子命=わかひこたけきびつひこのみこと

天皇の御子は以上の八柱である。

大吉備津日子命と若日子建吉備津日子命は相協力して針間(播磨)を基点に吉備の国を平定した。

この天皇(孝霊天皇)の御年、一百六歳(ももあまりむとせ)
御陵は片岡の馬坂の上にある。

*1、奈良県磯城郡

この天皇の時はチョット記述することがあります^^・・・(爆)
ここでオオキビツヒコとワカタケキビツヒコが吉備の国を平定したくだりは 温羅伝説の鬼退治の話として残り「桃太郎」の原型になったといわれています。

それからもう一つ(⌒∇⌒)/
この時代に除福の漂流説があります。
あ・・まだある・・(^^ゞ・・
ヤマトトモモソヒメはあの有名な「箸墓」古墳の埋葬者だといわれています。
この箸墓は「卑弥呼」の墓ではないか?と言われている古墳です。

孝元天皇=こうげんてんのう
大倭根子日子国玖琉命は軽の堺原宮(かるのさかひばらのみや)*1 にて、政を行なった。
この天皇と穂積臣の祖、内色許男命=うつしこおのみことの妹、
内色許売命=うつしこめのみこと との間に誕生した御子は
大毘古命=おおびこのみこと
【大毘古命の御子は二柱。建沼河別命=たけぬなかわわけのみこと は阿部臣の祖。比古伊那許士別命=ひこいなこじわけのみこと は膳臣の祖】
次に
少名日子建猪心命=すくなひこたけるごころのみこと
次に
若倭根子日子大毘毘命=わかやまとねこひこおおびびのみこと

また、内色許男命の娘、
伊迦賀色許売命=いかがしこめのみこと との間に誕生した御子は
比古布都押之信命=ひこふつおしおのまことのみこと

また、河内の青玉の娘、
波邇夜須比売=はにやすひめ との間に誕生した御子は
建波邇夜須毘古命=たけはにやすひこのみこと

比古布都押之信命と尾張連の祖、意富那毘=おほなび の妹、
葛城の高千那比売=たかちなひめ との間に誕生した御子は
味師内宿禰=うましうちのすくね

また木国造の祖、宇豆比古の妹
山下影日売=やましたかげひめ との間に誕生した御子は
建内宿禰=たけうちのすくね

建内宿禰の子は九人。
まず
波多の八代宿禰=はたのやしろのすくね
彼は波多臣、林臣、波美臣、星川臣、淡海臣、長谷部君の祖
次に
許勢の小柄宿禰=こせのおからのすくね
彼は許勢臣、雀部臣、軽部臣の祖
次に
蘇賀の石河宿禰=そがのいしかわのすくね
彼は蘇我臣、川邊臣、田中臣、高向臣、小治田臣、櫻井臣、岸田臣の祖
次に
平群の都久宿禰=へぐりのつくのすくね
彼は平群臣、佐和良臣、馬御織連の祖
次に
木の角宿禰=きのつぬのすくね
木臣、都奴臣、坂本臣の祖
次に
久米の摩伊刀比売=くめのまいとひめ
怒能伊呂比売=ののいろひめ
次に
葛城の長江曾都毘古=かつらぎのながえそつひこ
彼は玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣の祖
次に
若子宿禰=わくごのすくね
彼は江野財臣の祖

この天皇(孝元天皇)の御年、五十七歳(いそぢまりななとせ)
御陵は劔池の中の岡の上にある。

*1、奈良県高市郡

ここではあの383歳まで生きたといわれる、謎の大臣「武内宿禰」が登場します。
謎の古文書である、武内文書や仲哀天皇の謎の死にもかかわってくる、謎だらけの人物・・・。 ここでも家臣のクセに長々と系譜を連ねてもらってたりして・・ますます・・あやしい( ̄ー ̄)・・

開化天皇=かいかてんのう
若倭根子日子大毘毘命は春日の伊邪河宮(かすがのいざかわのみや)*1 にて、政を行った。
この天皇と旦波の大縣主、由碁理=ゆごり の娘
竹野比売=たかのひめ との間に誕生した御子は
比古由牟須美命=ひこゆむすびのみこと
【比古由牟須美命の御子は二人。大筒木垂根王=おおつつきたりねのみこ、讃岐垂根王=さぬきたりねのみこ。この二王には五柱の娘がいる。】

また庶母の伊迦賀色許売命=いかがしこめのみこと との間に誕生した御子は
御眞木入日子印惠命=みまきいりひこいりえのみこと
次に
御眞津比売命=みまつひめのみこと

また丸邇臣=わにのおみ の祖、日子国意祁都命=ひこくにおけつのみこと の妹
意祁都比売命=おけつひめのみこと との間に誕生した御子は
日子坐王=ひこいますのみこ

また葛城の垂見宿禰=たるみのすくね の娘
わし比売(*わしは変換できませんでした)との間に誕生した御子は
建豊波豆羅和気=たけとよはづらわけ

(二代目)
日子坐王と
山代の荏名津比売=えなつひめ(またの名は苅幡戸辨=かりはたとべ)との間に誕生した御子は
大俣王=おおまたのみこ
【大俣王には二人の御子あり。曙立王=あけたつのみこ、菟上王=うなかみのみこ】
次に
小俣王=をまたのみこ
次に
志夫美宿禰王=しぶみのすくねのみこ

また春日の建国勝戸売=たけくにかつとめ の娘
沙本の大闇見戸売=さほのおおくらみとめ との間に誕生した御子は
沙本毘古王=さほびこのみこ
次に
袁邪本王=おざほのみこ
次に
沙本比売命=さほひめのみこと(またの名を佐波遲比売=さわぢひめ)
次に
室毘古王=むろびこのみこ

また近つ淡海の三上で祭られている、天之御影神=あめのみかげのかみ の娘
息長水依比売=おきながみずよりひめ との間に誕生した御子は
丹波比古多多須美知能宇斯王=たのはのひこたたすみちのうしのみこ
次に
水之穂眞若王=みずのほのまわかのみこ
次に
神大根王=かむおおねのみこ(またの名を八瓜入日子王=やつりのいりひこのみこ)
次に
水穂五百依比売=みずほのいおよりひめ
次に
御井津比売=みいつひめ

また母の妹、袁祁都比売=おけつひめ との間に誕生した御子は
山代の大筒木眞若王=おおつつきまわかのみこ
次に
比古意須王=ひこおすのみこ
次に
伊理泥王=いりねのみこ

(二代目)
丹波比古多多須美知能宇斯王と
丹波の河上の摩須郎女=ますのいらつめ との間に誕生した御子は
比婆須比売命=ひばすひめのみこと
次に
眞砥野比売命=まとのひめのみこと
次に
弟比売命=おとひめのみこと
次に
朝廷別王=みかどわけのみこ

(三代目)
山代の大筒木眞若王と弟の伊理泥王の娘
丹波の阿治佐波比売=あぢさわひめ との間に誕生した御子は
迦邇米雷王=かにめいかづちのみこ

(四代目)
迦邇米雷王と丹波の遠津臣の娘
高材比売=たかきひめ との間に誕生した御子は
息長宿禰王=おきながのすくねのみこ

(五代目)
息長宿禰王と
葛城の高額比売=たかぬかひめ との間に誕生した御子は
息長帯比売命=おきながたらしひめのみこと
次に
虚空津比売命=そらつひめのみこと
次に
息長日子王=おきながひこのみこ

また河俣稲依比売=かわまたのいなよりひめ との間に誕生した御子は
大多牟坂王=おおたむさかのみこ

この天皇(開化天皇)の御年、六十三歳(むそぢまりみとせ)
御陵は伊邪河の坂の上にある。

*1、奈良県奈良市

とにかく長々と・・・ずらずらと・・系譜を並べてありますが・・疲れた・・・(-_-;)
ここでは後に仲哀天皇の大后となる息長帯比売が登場です。後の神功皇后ですね^^。

これでとりあえず欠史と呼ばれる天皇の項は終わりです。
でもここからももっともっと読み取れる事はあると思います。
なにかを伝えたかったけれど、はっきりとは書けなかった事・・・そういったことが 隠れているかもしれないからです。
読むたびに新しい発見や解釈に出会う・・・それが古事記です。

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