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第十八分室へようこそ!どうぞお付き合いの程よろしくお願いいたします。

皇后選定
神倭伊波禮毘古命=かむやまといわれひこのみこと は日向の地にいる時にすでに阿多の小椅君(あたのおばしのきみ)の妹、 阿比良比売=あひらひめ との間に
多藝志美美命=たぎしみみのみこと
岐須美美命=きすみみのみこと
の二柱をもうけていた。

しかし、大后は今だ、定めていなかった。
そこに、大久米命が一人の神の子と呼ばれる乙女の話を持ってきた。
「この比売が神の子と呼ばれる所以は比売の出生にあります。 比売の母親は三島溝咋の娘、勢夜陀多良比売=せやだたらひめ といい、大変美しい方でありました。 ある時三輪の大物主神=おおものぬし がその姿を見初めて丹塗矢*1 に姿を変えて比売がトイレに入ったときに陰をつきました。その時に誕生したのが先の比売、 富登多多良伊須須岐比売命=ほとたたらいすすきひめのみこと(またの名を比売多多良伊須気余理比売=ひめたたらいすきよりひめ) であります。」

早速天皇は大久米命とその乙女に会いにいった。
高佐士野につくと、七人の乙女が野に遊んでいた。その中に伊須気余理比売がいることに気付いた大久米命は天皇に歌で問い掛けた。

倭の 高佐士野を 七行く 媛女ども 誰をし枕かむ
【七人の美しい乙女達のどの乙女が宜しいですか?】

天皇は七人の乙女達のなかからすぐに伊須気余理比売を見つけると、比売の前に立ち歌を読んだ、

かつがつも いや先立てる 兄をし枕かむ
【一番先に立っている、年上の子にしよう。】

そこで大久米命が伊須気余理比売に天皇の皇后になるように伝えたが、比売は大久米命の黥ける利目(さけるとめ)*2 をみて、怪しんで歌を読んだ。

胡あめつつ 千鳥ま鵐(しとど) など黥ける利目
【まるで色々なとりのようにみえる、目の回りのその模様はなに?】

大久米命も歌で答えた。

媛女に 直に遇わむと 我が黥ける利目
【あなたに直接に遇おうと思っていれたいれずみです】

そして天皇は伊須気余理比売の了解を得て、彼女の家へ行き一夜を過ごした。

その後伊須気余理比売が宮に入内した時に天皇の歌った歌は

葦原の しけしき小屋に 菅畳 いやさや敷きて 我が二人寝し
【あの時は荒れた小屋に汚い敷物を敷いて二人で寝たよね】

さて天皇と伊須気余理比売との間に誕生した御子の名は
日子八井命=ひこやいのみこと
神八井耳命=かむやいみみのみこと
神沼河耳命=かむぬなかわみみのみこと
の三柱である。

*1、丹(赤色)に塗ってある矢。雷神(竜神または蛇)をあらわすとされる。
*2、黥けるの「黥」の読みは「いれずみ」であることから、顔に施したいれずみのことと思われる。

さて神の子であるタタライススキヒメですが、この「タタラ」というのは製鉄の踏鞴(たたら)であるのではないか?と考えられています。
結婚といえば政略じゃない方が珍しい時代ですから(笑)これは神武がこの地方の製鉄技術を手に入れるための婚姻ではないかと言うのです。確かに「神の子」にしては歌で歌われているようにおんぼろの小屋に汚い敷物を惹いての交渉ですから、何かがないと「天之下しらしめる」神武には役不足という感じですよね^^。
七人の中から一人本物を選ぶという試練(?)は製鉄技術を持つ部族が一つではなかったということなのかなぁ〜・・・。
またここに出てくるオオクメは顔に入れ墨があったと言う記述があります。
これは邪馬台国の事を記述している唯一の歴史書である、魏志倭人伝にも「倭人」は入れ墨を施しているという事がかかれています。と言う事は時代的に同じ頃・・と言う事なのでしょうか?
そうすると、邪馬台国東征説が俄然真実味をますと思うのですが・・・。
なかなか面白いでしょう(⌒∇⌒)/♪

当芸志美美命(たぎしみみのみこと)の反逆
さて、天皇(神倭伊波禮毘古命)が崩られてから(かむあがられてから)*1
その子である当芸志美美命はその大后である伊須気余理比売を娶った。
そして自分の義理の弟である、彼女の三人の息子を殺そうとたくらんでいた。
伊須気余理比売はその事を知り、歌に込めて我子等に伝えようとした。

狭井河よ 雲立ちわたり 畝火山 木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす
【狭井河の方より雲がわきおこり 畝火山の木の葉が騒いでいます。風の吹く前触れでしょう】
畝火山 昼は雲とい 夕されば 風吹かむとぞ 木の葉騒げる
【畝火山で昼は雲が流れ、夕方になれば木の葉が風が吹くよ、と騒いでいますよ】

この事を知った神沼河耳命=かむぬなかわみみのみこと は驚いて、兄の神八井耳命=かむやいみみのみこと に進言した。
「兄さん。今すぐに兵をそろえて、当芸志美美命を殺しに行くべきだ。」

弟の意見を聞き入れて兄の神八井耳命は兵を集め当芸志美美命を攻めん!としたが、直前に手足が震えてどうしても出来なかった。
そこで弟の神沼河耳命はその兄の兵を借り、当芸志美美命を攻め滅ぼしてしまった。
この時の功名をたたえて、御名を
建沼河耳命=たけぬなかわみみのみこと と変えた。

この事件の後、神八井耳命は弟に自分は震えて戦う事が出来なかったので、兄ではあるが、天皇の位は弟であるが建沼河耳命が継ぐべきである。といって、祭りを司る「忌人(いみひと)」となってしまった。

さて、神倭伊波禮毘古命(神武天皇)の御歳は壱百参拾七歳(ももあまりみそぢまりななとせ)。
御陵は畝火山の北の方の白樫の尾の上にある。

*1、亡くなられる。

さて!このタギシミミの所・・・あやしくないですか?( ̄ー ̄)ふっ・・
この先妻の息子は死んだ父親の奥さんを妻にしちゃってるんですよ!それも神武の亡くなりかたの唐突な事!!どうして死んだかもなんにも書かずに「死んだ!」とこれだけですよ。
これはもう父親殺しを疑ってもいいと思いますね。
全然名前の出てこない弟のキスミミも殺ってしまったんじゃないでしょうか・・・?
父親・実の弟の次に邪魔なのは同じ皇位継承権を持った三人の義理の兄弟です。
ここにも魔の手が!!って・・・(^^ゞ
結局返り討ちにあってしまってますが、ここでも三人兄弟が変・・・。
兄ちゃんは弟に皇位を譲ってしまうし・・(戦いにも行けなかったくらいだから優しい気の弱い人だったんでしょう)もう一人の兄ちゃん(ヒコヤイミミ)は名前しか出てこないし・・・、変でしょう?
しかも、ヒコヤイミミの「日子」というのは今で言う「皇太子」位の意味があったんですよ。 なのに戦いにも参加してないし(と言うより誘ってもらってない?)その後もまるで無視! どうも三人兄弟だと一人は必ず扱いが薄いような気がするぞ・・・>古事記・・・。
ここで面白い事に気付きませんか?おおっ、神武もタケヌナカワも三人兄弟の「末っ子」だ!
そしてスサノオも三人兄弟の末っ子。山幸彦も三人兄弟の末っ子。
三人と末っ子になにかキーワードがあるのか・・・?

古事記は書いてあることをそのまま鵜のみにしては良くわかりません。
しつこく深くあるいは思いこんで読まなければ真実(?)は見えてこないのです。ぐふふふ・・

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