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第十六分室へようこそ!ここからは古事記・中つ巻を研究していきたいと思います。どうぞお付き合いの程よろしくお願いいたします。

神武天皇
1、東征

神倭伊波禮毘古命=かむやまといわれひこのみこと は、 なお広くこの国を治める為に その兄である五瀬命=いつせのみこと と 相談して、東へ向うことにした。

まず日向をでると、筑紫に向った。

最初に豊国の宇沙(うさ)。*大分県
ここでは土人(くにびと、すなわち土着の民)である、
宇沙都比古=うさつひこ、宇沙都比売=うさつひめ の二人に
足一騰宮(あしひとつあがりのみや)を作って、大変な御馳走でもてなされた。

次に筑紫の岡田宮。*福岡県
ここには1年滞在した。

次に阿岐国の多祁理宮(あきのたけりのみや)。*広島県
ここには七年滞在した。

次に吉備国の高島宮(きびのたかしまのみや)。*岡山県
ここには八年滞在した。

次に速吸門(はやすいのと)。*下記説明参照
ここで、亀の甲に乗って、釣りをしつつ、羽ばたきをしているものに出会った。
「お前はいったい何物だ?」
「私は海路のことを良く知る、国つ神である。」
「私達に仕える気はあるか?」
「仕えましょう。」
こうして、彼は神倭伊波禮毘古命に仕えることとなり、名を賜った。
その名を槁根津日子=さおねつひこ という。

さて、神武の東征です。 ここはとても長いので区切りながら行きたいと思います。
最初は簡単に地名だけを並べていますが、一つ一つの土地に七年も八年も滞在するなんてなにかあったとしか考えられないですよね。
ワタクシテキにはこれはそこそこの土地を制圧するのにかかった期間に近いのではないか?と思っています。ナンと言っても神武の希望は【あまねく知らしめる】事ですから、通る所通る所制圧していったのではないか!!と私は考えているわけです。それが武力であったか、はたまた違う手段であったかはわかりませんが・・・。ただ長い旅をするわけですから、武力では続かないかも知れませんね・・。

話は変って・・・この章って不思議な物が多いと思いませんか?まず宇佐の足一騰宮???想像つきますか? 一本足の高い宮?私は思わず円盤から下に伸びる光りのエレベーターを想像してしまいました(苦笑) でも、そんな感じですよねぇ〜( ̄ー ̄)・・・。ぐふふ・・ それから、亀に乗ってやってきた人!羽ばたきながら?つり?ああっ☆またSF的な想像が・・・((>へ<))!!!後は皆様のご想像に・・・。
余談ですが、この宇佐の近くには「耶馬=やば」とつく地名が結構あります・・・耶馬=邪馬台国?? ぐわわわ・・・むっちゃ☆あやしい!(実は黒岩重吾氏が邪馬台国=宇佐説を唱えておられました。^^;)

そうだ!この道筋なのですが、日向を南九州とすれば→宇佐→筑紫→安芸→吉備までは問題ないのですが、 速吸門に問題あり!のです。これは多分今の速吸瀬戸(豊予海峡)の事だと思うのですが、そうすると 神武たちは吉備(岡山)からほとんど振りだし近くまで戻ってこなければならないことになります。
そこで今のところは(日本書紀では、宇佐の前にこの速吸があるところから)古事記の記述ミスである可能性が高いとされています。

さて、その後浪速の渡を経て、青雲の白肩津に到着した。
そこでは登美の那賀須泥毘古=とみのながすねひこ の軍勢が待ち構えていたので神武は船にあった楯をもって応戦した。
このことからこの地を「楯津」という。今の日下の蓼津=くさかのたでつ のことである。

この戦いで、兄の五瀬が登美毘古(登美の那賀須泥毘古のこと)の矢を受け重傷を負ってしまった。
神武は 「神の子である私が、日に向って(東に向って)戦いをしたのが良くなかったのだ!」と言い、
南から回りこむ作戦に切り替えた。
その時戦いの血を洗い流した所を、血沼海=ちぬまのうみ*1 という。
途中、紀国の水門(みなと)にさしかかった頃とうとう五瀬命が
「賤しき者の手にかかって死ぬとは悔しい!」
と雄たけびをあげて死んでしまったのでここを男の水門=おのみなと と名づけた。
五瀬命の御陵は紀国の竈山(かまやま)*2 にある。

*1、現在の和泉郡茅渟海
*2、現在の紀伊の国牟婁郡

神武くん緒戦敗退です。(笑)もうぼろ負け!!
おまけに捨て台詞を残して逃げ出す始末・・・。
兄さんは死んじゃうし、もう散々です。(苦笑)

さてここで出てくる「ナガスネヒコ」について少々説明をば・・・。
彼の話はこの葦原中つ国にはニニギ以前に降臨した神がいたと言う所から始まります。
その神の名は
「鐃速日命=にぎはやひのみこと、またの名を天照国照彦火明命=あまてるくにてるひこほあかりのみこと」
と言います。おや?何処かで・・・?そうニニギの兄弟に「天火明命」ってのがいましたよね^^。
それともう一つ、天照・・と言う所ですね・・。これは「チョット小耳・・・」のところでふれたいと思います。( ̄ー ̄)v

ニギハヤヒは河内の国の河上哮峯(かわちのくにのかわかみたけるのみね)に天磐船(あめのいわふね)に乗って降臨してきました。そしてその地の豪族であったナガスネヒコの妹と婚姻し、ナガスネヒコはその後ニギハヤヒに仕える事となった・・・・。と言う事です。 と・・言う事はナガスネヒコには神武と戦う、ちゃんとした理由があったわけですよね。ここでは神武は立派な侵略者なわけですから。

那賀須泥毘古は長髄彦とも書き、その名の示すとおり上背のある、威丈夫だったと伝えられています。 (長髄→すねが長い→足が長い→背が高い・・ってなとこかな・・・(^^ゞ・・)
さあ、神武の東征はまだまだ続きます。

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