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第十三分室へようこそ!早速続きを始めたいと思います。

邇邇芸命

天孫の誕生
ここに改めて、天照大神と高木神(高御産巣日神)は太子=ひつぎのみこ である
正勝吾勝勝速日天忍穂耳命=まさかつあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと に命令を下した。
「すぐに、降臨して葦原中国を平定するように」
だが、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は
「私が降りる用意をしている間に私に子供が生まれました。名を
天邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命=あまつひこひこほのににぎのみこと といいます。
彼を降臨させたいと思います。」
天照大神と高木神はこれを承認した。

天邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命=あまつひこひこほのににぎのみこと は
天火明命=あめのほあかりのみこと の次に
木神の娘、萬幡豊秋津師比売命=よろずはたあきつしひめのみこと との間に誕生した子である。

あははは・・
オシホミミはどうしても地上には行きたくなかったようです^^;。
前のときは途中で帰って来てしまうし、今度は生まれたての息子に行かせる事にしてしまいます。(おいおい・・)
物の本によると、この時ニニギは「繦褓=むつき(おしめ)にくるまれていた」といいますから、とんでもない親です(^_^;)
ただこの「孫」が後を継ぐという話しは作り物という説が多く、【持統天皇(女帝)が早世した息子の変わりに孫を皇位につけるためのこじつけのもの。】といわれています。前例があるんだよ!としたかった。と、言うんですね。ちょうどこの頃古事記が編纂された事もこの説に力を与えています。
これにはあの「藤原不比等」が深く絡んでいるとも言われています。

猿田毘古神*1
さて、天降りの途中の分かれ道に上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす一人の神がいた。
天照大神と高木神は天宇受売神=あめのうずめのかみ*2 を呼ぶと
「お前は、女ではあるが、誰に対峙しても引けを取らない強い精神の持ち主である。その力を持って、あの道を塞ぐ神にここは天孫の通り道であるゆえどくように。と伝えてくるように。」
と、命令をした。
早速、天宇受売神は道を塞ぐ神に天照大神らの言葉を伝えると、その神の言うのには
「私は、国つ神の猿田毘古神=さるたひこのかみ と申します。天つ神の御子が天降りますとお聞きして、先導をさせていただこうと、ここでお待ちしております。」
との、ことであった。

ニニギを先導したサルタヒコは道案内つながりで、道祖神にたとえられたりします。また、*注でも描きましたが鼻が高かったという特徴に連想して、よく絵画などでは天狗の姿にかかれています。彼はこの時の功績により、伊勢の五十鈴川の川上にまつられたとされています。現在も伊勢神宮の近くには猿田毘古神社があります。

天孫降臨
かくしてここに
天兒屋命=あめのこやねのみこと
布刀玉命=ふとたまのみこと
天宇受売命=あめのうずめのみこと
伊斯許理度売命=いしこりどめのみこと
玉祖命=たまおやのみこと
の五柱の神を伴って天孫の降臨が行われることとなった。
また、このとき天照大神は
【八尺の勾玉】【鏡】【草薙剣】を渡し、
常世思金神=とこよのおもいかねのかみ
手力男神=たじからおのかみ
天石門別神=あまのいわとわけのかみ(またの名を櫛石窓神=くしいわまどのかみ、またの名を豊石窓神=とよいわまどのかみ)
を、お供に加えて、
「この鏡を私だと思って、大切に祭りなさい。思金神は政事を全般に引き受けるように。」
と、申し渡した。

いよいよ天津日子番能邇邇芸命=あまつひこほのににぎのみことは
天の石位(いわくら)を離れ、八重重なる雲を押し分けて、天の浮橋に立ち、
筑紫の日向の高千穂のくしふる岳=ちくしのひむかのたかちほのくしふるたけ に下り降った。
降りた地では
天忍日命=あめのおしひのみこと
天津久米命=あまつくめのみこと
の二柱の神が完全武装でお迎えし、天つ御子に忠誠を誓った。

邇邇芸命は
「ここは韓国に向い、笠沙の御前をまきとおり、朝日の直さすところ、夕日の照るところ。とてもきにいった。」
といい、この地に広大な宮殿をたてた。

*1、よく天狗にたとえられるが、書紀には「目は八咫鏡のように輝き、赤いほおずきのようである、背の高さは七尺全身は七尋、鼻の高さは七咫」と描写されている。
(咫=手を広げた時の親指の先から中指の先までの長さ。尺=約33cm。尋=両手を広げた長さ。)
*2、アマテラスが岩屋戸に篭った時、そとでストリップまがいのダンスをした女神

はい!やっとこさ降臨してきました。
しかしあれだけ出雲で好き勝手言って、騒いでいざ降りるとなったら、九州かい!!!と突っ込みをつい入れたくなります。
その上、おしめをした子が「ここは韓国に〜〜云々・・」みたいな偉そうな事をいうなーー!!(`□´)))/・・・失礼いたしました・・(^^ゞ
まあ、この九州にしても、高千穂だけでも「宮崎」と「鹿児島」にありますし・・「福岡」にも日向という地名があって、そこにはクシフル岳があるし・・絶対ここだ!!と言う所は無いというのが今の現状ではないでしょうか?ただ九州であるということは一致した意見のようです。
でもね・・「韓国に向って」いるということは南九州よりも北九州の方が確立たかいなぁ・・と私は思っています。
あっ、それからこの章で出て来た【玉】【鏡】【剣】は今も皇室に伝わる、例の【三種の神器】です。
しかし現在は皇室にあるのは【玉】だけで、【鏡】は伊勢神宮に、【剣】は熱田神宮にそれぞれ祭られています。


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